私は今、様々な方々から
教えられているような
気がして、毎日心の中が
充実してきている実感が
あります。
以前の私であれば、

「なんでこの人はこんな事
 ばかり言うの?」

「なんでこんな事ばかり
 私だけ言われなければ
 いけないの?」

「なんて不幸なの?」

悲観ばかりし、自分を認めず、
いつも環境や状況のせいに
していたと思います。
アドラーで言う、劣等感を
精鋭化し、不幸さにおいては
誰よりも優越であるという事
ばかり、考えておりました。
つまり、赤ちゃんのような
弱さで泣くと、
構って貰えるので、
そんな事ばかりやって
おりました。

今でも、まだまだですが、
その頃の私に特に足りて
いなかったのが、
自分を認める勇気
過ちを認める勇気
です。

人は1人では生きていけませんが、
それが仇となり、誰かに影響され、
固定観念になったり、この人が
世界の全てと、その人だけに
信仰したがる所、独創したがる所
があります。

そして、自分を認める勇気
過ちを認める勇気が不足して
いくのです。
勇気が不足している人達は
良くない事を

『私は悪くないよね』

『私達は正しいよね』

『あの人が間違ってるよね』

さも非がないと納得し、
自分に酔いたい人達は
お互いを庇いあい。
自分達を正当化し、
非を認めなくなるのである。
正しく人の悪口を良い合う
のがこの事に該当する。
人の感情には自分に酔い
しれたいと言う感情が
隠れている。

かの有名なNBAスーパースター
マジック・ジョンソン氏
もこう言っています。

『不幸な人は不幸にしたがる』

と言っております。

また、個室してくると、
自分が中心で世界が回ってくる
と言う感覚になり、
独創が強くなります。
例えば、

『私はこいつより優れている』
『私は賢い』

などです。

過去の人物も同じような事を
言っております。

ゲーテ
『人はよく独創性の話しをするが
 いったいどう言う了見だろう。』

ゲーテでさえ、自分は古典や同時代
人に学んで自分という者をつくり
あげてきたと認めたのである。

論語著者:中野孝次氏
はこうも言っております。
この世に独創というものはない。
すべて伝統の再生に過ぎない。
人間で生まれてきた以上、
人間の文化を学ばずして
人間になれない。
自分一人でつくりあげる事は
出来ない。


最近は、情報化社会でありと
あらゆる情報が溢れております。
しかし、その中には、良い事と
悪い事が潜んでおります。
そんな時こそ

温故知新
昔の事をたずね求めて、そこから新しい知識・見解を導くこと

私の不勉強さ、未熟さもまだまだ、
日々鍛練、今後も焦らず一日一歩
ずつ歩んでいきたいと思います!




少しでもお役立て頂ければと
心より願っております!!

最後まで読んで頂いた方
ありがとうございます♪♪