もう少し厳密に言えば
『他人の目』というものを気にしながら生きています。
余計に解りづらくなったかもしれません。
他人にどのように見られているのか?
他人にどのように思われているのか?
つまり
他人の目が気になるってのは、結局は独り相撲なわけで、どのように見られているのか?って相手の目を気にしているその相手もあなたや私の目に映る自分がどのように相手に見えているのかってことを気にしています。
以前のブログでも書きましたけど
集合写真をとったとき真っ先に確認するのは自分なはずです。
自分がどのように撮られているかが気になるはずなんです。
で、その集合写真で一番先に私を確認したのち、その映え具合を確認したあと、次に好きな人がその写真に写っているのであれば好きな人を確認するはずなんです。
いや、これは間違ってる可能性もありますね。
マジで好きな人がその写真に写っていれば、好きな人を確認するかもしれません。
が、
でも、やっぱ好きな人がいるからこそ、自分がその人にどのように見られるのかが気になり自分の姿を真っ先に見る可能性のほうが高いかも。
とにかく、それぐらい自分がどのように見られているかってのを気にするんですね。
どのように思われているか、見られているかってのが怖い生き物なんでね、そこに居心地の悪さを感じて戦略的に、この現実の世界を生きるのに自分なりに一番最適で安心安全なキャラクターを作ってしまうんだよってとこに繋げるわけなんですが
例えば
自分がもっとこんな性格だったらいいのに
と、どれだけ強く思ったとしても、なかなか変われないのはあなたや私の対人関係において一番最適で安全で楽な戦略が、この、あるいはそのキャラクターを演じるということなんでね。
変な言い回しになりますけど
自分の人生を生きる上で一番最適化されたキャラクターになるわけですよ
怒りっぽいキャラクターを演じることが、その人にとっては安心で楽な戦略なんです。
私のようにヘラヘラしてるってのは(笑)それが最適で楽で安心な戦略なんですね。
このように考えてみるとそのキャラクターを無理に変える必要はないってことになります。
なぜなら
それが戦略的に一番落ち着いているはずだから
戦略的にと書いていますが、それは戦略を取らなければならないぐらい自分がどのように見られているのかってのが気になる生き物だってことですよ。
可愛らしいじゃないですか
その証拠に、我々は、どんなに批判されようが、どんなに炎上しようが自分を貫いている人に憧れたりするってことありません?
でも、とうの本人はそれが戦略なんて微塵も思ってないはずです。
だってそれが本人にとっての"最適"になるんだから。
で、昨日のブログで紹介させてもらった
岡田斗司夫さんの本に書かれていた内容で個人的にものすごく納得した話が書いてあったのでこのタイミングでご紹介します。
それがどのような内容かというと
同窓会では一歳年上の先輩があいかわらず先輩風を吹かせ、10歳も違わない先生から人生の説教を受けたりします、
年齢を重ねれば、多少の年齢差などないのも同然のはず。
普段の生活ならママさん同士は何歳でも対等のお付き合いですよね。
なのに
同窓会ではなぜ昔の人間関係に戻るのか?
すでになんの関係もない赤の他人同士だから、
居心地が悪いからです。
他人同士だから、昔の関係を演じるしか共通点が持てないんですよ。
━引用ここまで━
そうなんですよね
社会人となりそれなりに人生経験を積んで対人関係も大きく変わってしまった。
そうすると、なんとなく自分だけがそこに居場所がないんじゃないか?って思ってしまう。
それはみんながウスウスどっかで思ってることなんだけれど、○○さんの顔を見たとき思いっきり昔の関係に戻れる。
同窓会ひとつとってみてもやっぱり同窓会とはいえ他人の目に映る自分が怖いんです。
それじゃ、どうしろってんだ?
うん、これはどうしようもないんだけど
アホになれれば一番いいのですが
今までのキャラってのがありますから
まずはそのいまのキャラクターでいることで私やあなた自身がずいぶんと助けられてるってことを自覚できるか否か
じゃないでしょうかね
それか
やっぱり
みんな自分をどう思っているか?
どのように見られているのか?
って自分のことで精一杯なので
誰もあなたのことを気にしてないし見てません
(笑)
って
この残酷な事実を受け入れることができるかどうかじゃないでしょうか?
わたしはこのお陰でずいぶんと楽をさせてもらってます
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