巷には情報が溢れている。
って書きましたけど、
むしろ情報しかなですよね。
イスも机も情報ですし、私も皆さんの頭の中の情報の一部です。
言葉はもちろん情報ですので、言葉の数だけ情報量が増えるというわけです。
で、この情報のことを仏教的に言えば
色即是空の色と言うことになります。
アメリカという国があるってことも、アメリカと国って概念があってはじめてアメリカ合衆国を認識できます。
ですが、国境やアメリカって概念が無ければ、そこはただの大陸にすぎません。
この大陸って言葉も大陸って情報を知っていなければなりません。
更には、大きいって概念と陸って概念が無ければそれを認識することはできません。
このようにいろんな情報があってはじめてこの世界が形作られているってことがわかりやすく感じられると思います。
ですので、我々は分別のついた大人って表現は
仏教的に申せば
色即是空の空(あるがまま)の世界から遠のいているってことになります。
皮肉なもので情報が増えれば増えるほど
物事は分別されて細かくなっていき
本質的なものから遠のいているってことです。
悟りとは言いますけど、情報量が圧倒的に少ない赤ちゃんはそういった意味で一番悟りに近い存在ということになります。
もう少しわかりやすく言えば
あるがままで世界を捉えることができているのは赤ちゃんと言うことになります。
我々が赤ちゃんを見て癒やされるのは
分別を通さす(いい人・悪い人・親・他人)
あるがままの自分を見てくれているといった安心感があるからです。
ちなみに分別という単語も仏教用語ですが、
分別が悪いってわけではなく
分別されたものに意味や価値といった情報を与えたことにより
その意味や価値観の相違によって苦しみが生まれるよってことですね。
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