この世は常に移ろい変化していくものである。
日本の三大義務のなかには『労働の義務』というものがあるけれど、今日果たしてそれが義務としては通用しなくなっていると思うのだけれど、まだ義務付けしているところに、なんだか違和感を感じてしまうんだけど、僕が見る限り今では好きなことが結果、仕事と呼ばれるものに繋がっているようなケースが多く見えていて、大分様変わりしている。
もちろん昔からこういったケースはたくさんある。
相変わらず就職口がないと騒がれているにも関わらず、義務だからということで、否応なく働くことは健全であるって風習がまかり通ってしまっている。
これは一見当たり前のように見えるんだけど、合理化という名のもとで生産性は向上し、機械化が進み、それが今日の経済を支えている基盤となっているんだけど、そのぶん、人間の労働力は昔に比べると少なくなっているし、原に雇用が無いということは人はいらないということでもある。
そういった社会というものが大分前に出来上がってしまったからだ。
Aiの進化により、ますます人が働かなくてもすむようになっていくということは、つまり
もう労働の義務はいらないんじゃね?
それがある限り好きなことして、その報酬を受け取っている人と、いやいやブラックで勤めなくちゃならない人たち、ニートと呼ばれている人たちとの心理的格差は広がっていく一方なんじゃないかな?
じゃ働かないやつはどうすんの?
って話になると思うんだけど、
『じゃ働かないなら働きませ~ん』
って人は特に日本ではいないような気がするんだけど、それでもネットの動画配信とかでゲーム実況や何やらで収入を得ている人たちはたくさんいるわけで、そういった人達が新しいビジネスモデルを勝手に創っていってるわけだし、そういった人達が労働に対する新しい価値観を生み出しやすくするためにも『労働の義務』だけは変えておいたほうがいいと思うんだけど、
どうだろう?
(今更ながら教育の義務ってのもどうかと思うけど)
働かなくなってその後の収入が無いから、その社会保証制度がどうのこうのって話じゃなくって、まずはいい加減
『義務の見直しをしたらいいんじゃね?』
それだけ変えただけで経済的な変化が現れるなんてこれっぽっちも思っちゃいないけど、気分的には少しは明るくなるんじゃないかね。
気分的にってのは大切なんだ。
働くことから解放される時代はいつか来るが、働くことから解放された人生に耐えられる人は少ない。
こういった人生を耐えられるのは、歌うことのできる人たちだけにとってだけであろう
そして、われわれのうちで歌うことができる者はなんと少ないことだろう。
(ケインズ)
でも、最近は歌うことのできる人たちってけっこういたりするよね。
そんな彼(彼女)らが明るい方へ導いてくれている。
そして、そんな彼らや彼女らは導いているという感覚さえ持ってない。
それは常に新しい芽吹きのように自然的に起こっている。
その新しい芽吹きは古い価値観の中では異例に見えたり特殊に見えたりするもんなんだ。
地動説から天動説へと大きな変革は歴史の中で常に当たり前のように起こってきた。
その古い歴史は今それを受け入れる上で指針となるだろう。
そういった意味でも歴史は今同時に存在している。
地動説から天動説へと常識が常識でなくなるまでには様々な葛藤や疑いもあったろうし、それを受け入れるにはすぐにというわけにもいかないというのは自分というものが新しい価値観に戸惑いを感じてしまうことからも容易に推測できる。
けれど常識や価値観といったものは移り行く流れと共に確かに大きな変化を繰り返してきた。
それは人間のちっぽけな意思だけではどうしようもないということでもあるよね。
この世は諸行無常なんだから
変わらないより変わることのほうが自然ということでもある。
自分自身もその流れのようなものだから、今日の私と明日の私は変わってていいのである。
今の私と、さっきまでのわたしとでは違っていて当然でありそれが自然なんだ。
僕らは常にとってもエキサイティングな時を選んでいるのかもしれないね。
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