この一連の作業はあっという間で入力Aから出力Cの反応までは瞬時に行われます。
それはまるで機械的な作業で無自覚のうちに反応が起こっています。
誰かに挨拶をする
ガン無視される
入力A
ピピピとセンサーが反応し
これはどんな状況なのかを解釈しようと脳内では瞬時に情報処理が行われる
情報処理B
その出来事を解釈という情報処理Bがおわると
それに対する反応というも出力Cが放出されます。
ピピピ
あのやろー!!
ギッタギタにしてやろうか
あるいは
まっ、オレの声が小さすぎて聞こえてなかったんだろう。
あるいは
このままじゃ朝から気分が悪いから、もう一回挨拶しとくか、
おはようございま~す
今日もかわいいね♪
どうかな?
この出力によっては一日の気分が変わってくるとは思わない?
その反応まではほぼ無自覚に起こっている。
そこで起きた出来事に無自覚に反応するまえに
何かしらの出来事があったときに、一呼吸おいてみるんだ、すると解釈を変えられる余裕が出てくる。
そしてこの解釈は自分にとって都合のよい介錯に変換が可能になることに気づくことがある。
それは出力Cが変わり気分のよいものに変えられるってことに気づくってことでもあるんだ。
そうすると悲しい気分の時にでも無理やり何かの行動を起こして嫌な感情から逃げなくても別にそれはそういった感情がただ湧いているのだと解釈できれば感情の側が納得し自然と消えているときがある。
そうすれば新しい気分で事に取り組むことができるようになる。
それは、いけないことだ、良くないことだという解釈のまま行動に移しても、自分を誤魔化していることから派生された行動になるから、結果、虚しさが残ってしまうことがある。
ひとりが寂しいからと友達に電話して遊んだとしても遊べているときはhappyに思うかもしれないが、またひとりに戻っていかなきゃならない。
するとその行動は逆にむなしさという感情を運んできてしまう。
自分と向き合うことができたなら、孤独は感じないはずだよ。
自分というものと一緒にいられるということだから。
そこからはじめて真の人間関係をスタートさせても決して遅くはないはずだ。
なぜなら常に今がスタートでゴールだからだ。
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