天府

 

天府は南斗の主星である。「主星」の性質について言えば、北斗主星の紫微と同様に、独りで事に当たるという特性を持ち、また同様にリーダーシップがある。しかし、紫微のリーダーシップには開創力があり、天府は既成の局面において発展するのに適している。だから同じ「リーダー」でも、具体的な状況は大きく異なる。良い面から言うと、天府には紫微の主観がなく、他人の意見を受け入れやすい。

したがって昔の人は紫微と天府の区別を整理して定め、紫微は爵祿の象徴で、天府は財帛衣祿の象徴とした。古人は富より貴を重んじ、貴者は権威と功名を立てる能力を持ち、富者は蓄えるのが得意だと考えた。

昔の人はまた「南斗註生、北斗註死」と考えたので、天府は生育の象徴でもあった。天府が兄弟宮にあれば、兄弟は必ず多いとするのは、これに基づいている。もし命宮にあれば、それは長寿の兆候とされるため、「延壽解厄之星」と呼ばれている。

 

命宮にある天府は、一般的には用心に用心を重ね、温良で礼儀正しい。しかし天府は「財庫」で、「藏」を本質とするため、祿を見なければ「府庫充盈」を意味しない。もし天府を現代の中央銀行に例えるなら、銀行は備蓄があってこそ信用が顕著になるのであって、そうでなければ「空庫」となり、縁起が良くない。

天府は煞を見るのも嫌い、もし火鈴羊陀に沖破されたり、地空地劫が同宮したりすれば、「露庫」と呼ばれる。財庫が明るみになり、言うまでもなく簡単に争奪が引き起こされ、しかも天府の儲存上手の性質に相反するため、これまた縁起が良くない。

昔の人が「天府與火鈴羊陀會合、好詐」と言ったのは、「露庫」によるものである。

中央銀行が備蓄不足なら、当然に民衆から巧みに奪い取ることになるのと似ている。天姚・天虛が同宮加会する場合、さらにその人は策略や陰謀が多く、手段を弄するのが好きであることを表す。

 

天府は南斗の主星である。あらまし主星は「百官朝拱」を喜び、化科も喜ぶ。この点は紫微の性質と完全に同じである。ただ、紫微は天府天相の会照を喜び、「府相朝垣」と称し、「百官朝拱」の一種の構造に属している。しかし天府と紫微・天相が相会する場合、「紫相朝垣」の格局はなく、「百官朝拱」でもない。

天府は安定を象徴するため、天魁天鉞はそれにとって、あまり重要ではない。魁鉞はただチャンスを象徴するだけなので、安定保守の人に対しては、チャンスの重要性は比較的に小さい。だから天府は左輔・右弼;文昌・文曲の同宮加会を最も喜び、丑未宮に坐す天府の場合も、左右・昌曲の所夾を喜ぶ。さらに卯酉にある天府の場合、所会する天相が左右・昌曲に所夾されるのも、良好な星曜組み合わせになる。したがって天府化科や左右・昌曲を見れば、無祿で煞を見たとしても、「空庫」「露庫」にはならない。

 

天府化科は、金銭において信用があることを表し、輔佐吉曜を見れば、さらに人から信頼されやすいことを意味する。別の面から言えば、多くの責任を負う兆しでもある。

辰戌二宮にある天府は、どちらも天魁・天鉞に所夾される機会があり、これもまた天府化科とほぼ同じで、人から信頼されやすいことを意味する。だから人から尊敬されやすく、リーダーの資質を持つ。

「四化」において、「中州學派」は左輔・右弼化科ではなく、天府化科と定め、さらに庚干と壬干を天府化科としていて、これが本派伝授の特色である。

本派の説によれば、天府は府庫で、自身が財權を表すため、不化祿である;天府の権力の大小は、対宮七殺の影響を受けるため、不化權である;天府は南斗の主星で、北斗主星の紫微と同様に不化忌(「在野孤君」の紫微は化忌に等しい;「空露」の天府も化忌に等しい)であるが、財庫には名誉信用が欠かせないため、天府化科なのである。

 

天府と七殺は相対する。七殺は衝撃力で、天府は保守、この二つの星曜は永遠に対宮に位置し、互いにバランスを取っている。推断の際は、どちらの性質が強いかに注意する必要がある。

例えば、天府と祿存の同宮は、府庫に祿があり、安定の兆しとなり、この場合、保守の力は衝撃や揺れ動きの力より大きい。

もし天府が無祿で、また煞を見なければ、対宮七殺の力が強くなり、人生が刺激を受けることにより、富貴になれる。だから巳亥両宮にある天府は、「紫微七殺」と相対するが、もし紫微が輔佐吉曜を見れば、天府に対して良好な激発(駆り立てる)力を生じるため、富貴の命になる。この場合、天府の保守の力も相対的に弱まる。

七殺に激発力があり、そして輔佐吉曜がなければ、かえって天府に影響を及ぼし、事業が少し成功した際、人生に虚しさを感じてしまう。

 

前述の通り、七殺に激発(輔佐吉曜と同度)があり、天府に輔佐吉曜の同宮がない場合、その人は人生に空虚を感じやすく、特に事業が成功した後に、空虚な感覚は自然と湧き起こる。もし前述の星系構造が、同時に地空か地劫と天府の同度(会合はそうではない)を見れば、別の一種の性質に変わり、その人の思想と行為は人から理解されにくいが、自らの独特なアイデアによって、無一文から功名富貴をつかむことができる。

もし前述の状況ではなく、「空庫」「露庫」の天府が、さらに空劫と同度すれば、思想独特といった性質はなく、むしろ中身のない人間に変わり、行為はしばしば人情に反し、孤立しやすくなる。しかし昔の人はこれを「僧道之命」と捉え、世俗から離れ出家修行をするのが良いとした。僧道と肉親は無縁だから、すなわち孤立である。

 

女性の天府は、現代では男性と同じように推断すべきで、なぜなら現代の女性も自分の事業を持つからである。

しかし、その中にもいくつかの特殊な状況がある。

巳亥二宮の天府は、「紫微七殺」と相対し、卯酉二宮の天府も、「武曲七殺」と相対するが、この命宮の女性は、一般的に自分の事業を持ったほうが良い。もし事業を持たなければ、かえって夫を凌駕することを意味し、結婚は調和が難しくなる。

「夫を凌駕する」というのにも、二種類の性質がある。もし天府と輔佐吉曜が会合すれば、それは良性になり、内助の功を発揮して、夫の事業を助けたり、夫に代わって業務を管理したりする。もし天府と悪煞空劫が同宮加会すれば、いじめて辱めて奪い合い、何事も夫の意見を左右し、しかも結果が悪い。

これを回避するには、女性が自分の事業を築く必要があり、そうすれば「夫を凌駕」することで結婚が不愉快なものにならない。祿存と同度する場合、さらに事業が発展して利益をもたらすことを表す。