「權忌相逢」「祿忌相逢」「科忌相逢」は通常、誰でも関心を持っている。いわゆる「權忌相逢」とは、化權を伴う主星と化忌を伴う主星が同じ宮位に存在しているか、あるいは対宮で互いが強く照らし合う状況を指して言う。三合宮位における化權と化忌は含まれない。「祿忌相逢」も「科忌相逢」も、定義は同様である。
この三つの形態の權・祿・科と忌星が同度する場合、いずれも一種の刑剋としか言えず、人の命運にプラスに作用したり、有利に働いたりすることはない。
化權星には加重・加深の意味と影響があるため、「權忌」相逢は化忌星の問題に重さと深さを加える。ちなみに飛星四化派は、權忌相逢の関係を「交戦」「平等」などとしている。
化祿星には混合・流通・相互撹拌の作用があり、外見を滑らかにして、表面的には良く見えるという意味と影響がある。したがって「祿忌」相逢の場合、化忌をさらに曖昧にして、外見上は素晴らしくても、内部や内容はめちゃくちゃで収拾がつかない。化祿は財星で、煞星の沖剋を最も恐れ、羊陀・火鈴・劫空・化忌の同宮と相照は、すべて「祿逢沖破」である。財祿は減少するか、なくなってしまう。飛星四化派はこの関係を、「雙忌」「祿随忌走」などと呼んでいる。
化科星にも、外見を飾って美しく品があるように見せたり、表面に含みを持たせ、外観をぱっと見て美しくさせたり、仮装や一時的に整然・正常に見せたりする意味がある。化科星は文星で、とても弱く、また行動に方法がある。したがって「科忌」相逢の場合、化科は科忌に抵抗できず、化忌を助けて一時的に表面を美しく、整然と正常に上品に、方法があるように見せる。しかしすぐにトラブル・面倒・災禍が露呈する。飛星四化の中には「一科解一忌」とする門派もあるが、力量弱の化科が化忌を解消することなど、できるはずがない。
以上の解説から、「權忌相逢」がなぜ多くの算命師に「雙忌」と判断されているかを、明確に知ることができる。実際に、この三種の「化忌相逢」の程度と内容は異なる。まず「權忌相逢」は最も深刻で、化權には強制執行の力があり、また人の言うことを聞かず、自分の意志を押し通すという意味を持っている。そのため「權忌相逢」発生時は、過ちや失敗、事故や災難が発生しても後戻りできず、忠告を聞かず、過ちや災難を収束させる力もなく、ただ発生するに任せて谷底に落ちたり、事物が完全に壊れてから、後始末や再建に取り掛かったりすることになる。
「祿忌相逢」の深刻さについて、財は人生においてとても重要な位置を占めていて、財が少なくなれば生命・人命にとって非常に不利である。「祿忌相逢」とは「祿逢沖破」のことである。沖破の程度は、化祿の主星がどれくらいの財を持っているか、さらには化忌の主星が刑剋するのはどの方面なのかによって決まる。だからそれぞれを検討する必要があり、また化祿と化忌の旺弱を見た上で、「祿忌相逢」がどの宮位にあって、どんなことを主導しているのかを判断すれば、その深刻さがどの程度のものであるかを知ることができる。
「祿忌相逢」は主に経済的な問題を表し、どんな方法で刑財に及ぶのか、どれだけの財が刑剋されるのか、問題の順調さがどれだけ減少されたか、災禍の深刻さが増すのか・・・といった点に関わって来る。
「科忌相逢」は一般的に、それほど深刻ではないが、それでも頭が冴えず、物事の進め方に欠陥があり、人生に影響を与える。「科忌相逢」についても主星の力が強いか弱いか、どのような側面の事柄に影響を及ぼすかを調べ、「科忌」がもたらす災禍や問題を判定する。「科忌相逢」にもそれぞれのレベルがあり、深さと厳重性、災害性質は異なる。左輔・右弼・文昌・文曲など月系星と時系星が化科を伴う場合、その化科のレベルと力は、紫微諸星や天府諸星の中の主要な基本甲級星のそれに及ばない。相対的には、文曲化忌と文昌化忌が命格中にあっても、紫微諸星と天府諸星が化忌を伴う場合の凶悪さと災禍の深刻さには及ばない。