災煞(さいさつ)

 

「將前十二神」の災煞は、比較的に重要な雑曜で、その基本性質は災難だが、危険な性質を帯びることもあるので、同宮する星曜を検査して、その危険の程度を推断しなければならない。

災煞は永遠に子午卯酉宮にいる。もし沐浴が同行して、桃花を見るか、昌曲化忌を見て、流年・流月・流日の煞忌が沖会する場合、しばしば異性によって災難を招くことを意味する。こうした状況は、かなり間接的な時もある。

災煞が疾厄宮か命宮にあり、病気を象徴する星系と配合すれば、例えば手術が失敗して、再手術が必要になるといった具合に、病気の危険が深くなることが多い。

大まかに言えば、災煞によってやって来る災難は、多くが「雪中送炭(人が最も困っているときに援助の手を差し伸べる)」的なものである。だから本来の星曜が吉祥なら、この星曜は根本的に作用を起こさない。

 

天煞(てんさつ)

 

「將前十二神」中の天煞は、あたかも天德と相対する意味を持っている。天德は助力または化解(取り除く)力が、父親と同年輩の人や直属の上司からもたらされることを指し、そして天煞はそうした人たちから妨害を受けて破損することを意味する。

だから天煞は父母宮に入るのを最も嫌い、流年父母宮に天煞を見て、また煞忌刑曜の沖会に当たれば、その年は父親世代や上司との関係に注意しなくてはならない。しかしこのような妨害は自分一人の力だけで逃れることは難しいケースがあり、例えば、ずっと変わらず頼りにしていた後ろ盾が突然氷山に変わり、自分の身を守ることができないといったように、こうした結び付きは、当事者が挽回できるものではなく、事前に心の準備をして、事に臨んで狼狽を最小限に抑えることしかできない。

もし煞忌の沖会がなければ、天煞の性質もかなり穏やかになる。例えば流月・流日に、父母宮か命宮に天煞を見れば、上司や目上の人(あるいは両親)にプレゼントを買うために、お金を工面するだけかもしれない。