擎羊と陀羅は、斗数中の一対の煞曜である。擎羊は「刑」を象徴し、陀羅は「忌」を象徴する。だから擎羊は廉貞を見るのを嫌うが、廉貞は「囚」の象徴で「刑囚並至」となるからである。擎羊は破軍を見るのも好まず、破軍は「耗」の象徴で「刑耗齊臨」となるからである。陀羅は化忌を見るのを嫌い、「忌化相衝」という。

 

性質によって分別すると、擎羊は「真小人(徳も人格もない卑劣な人)」だが、陀羅は「偽君子(世間を欺き名誉を盗み取る人)」に似ているところがいくらかある。だから擎羊がもたらす災難は一時のもので、たとえば手術をすれば術後は無事である。陀羅がもたらす災難は、ずっと付きまとう性質があり、たとえば病気にかかって手術はしないが、病気が長引く可能性がある。

 

擎羊は衝突が得意で、衝突後は好壊を問わず、物事は最終的に解決するが、陀羅はそうではなく、矛盾があり、ひたすら先延ばしにして、表面的な衝突の発生を受け入れない。

 

擎羊はただ火星だけを好み、陽金が陽火を見れば、鍛えられて器になるが、これは鍛冶屋の溶鉱炉のようなもので、金も明るく火も明るく、一槌一槌器皿を打ち出さなくてはならない。だから大きな苦労を経験して、その後に成就することを意味する。

 

陀羅も鈴星を好み(「鈴昌陀武」格は例外)、陰金が陰火を見れば、その性質は鉱石を製錬するようなもので、型に流し込んで鋳造する前に金塊を一度溶かす必要がある。だから人生に成就があっても、きっと闇から来る困難が多く、一生暇を持てないかもしれない。しかもぐずぐずする現象が発生しやすく、吉はなかなかやって来ず、凶はなかなか去らず、吉が来て凶が去っても、時間を無駄に過ごしたような気がしてならない。

 

だから二者を比較すると、火羊同宮のほうが陀鈴同宮より優れている。

 

「羊陀夾」は「刑忌夾」の性質により、挟まれる宮位に不利が多い。ただ、羊陀所夾の宮位には必ず祿存があるため、災難を回避しやすいだけである。

 

現代社会において、羊陀二曜は専門技能の象徴でもあり、それは昔の人が言うところの「巧藝安身」である。したがって現代人は古代人より幸運で、古代の職人の地位は低かったが、現代はテレビの修理方法を知っている人は誰も発達のチャンスがある。