たとえばレイキ。あなたがレイキを学ぼうと思った動機は何だろうか。それを職業にするかどうかは別にして、「誰かの心身の苦痛を改善したい」ということに集約されるんじゃないかな。

 

オレがレイキを学ぼうと思った直接のきっかけもそれ。当時拝見していたクライアントにご不幸があって、悲嘆にくれるその方にオレはなすすべがなかった。まあ、ボディワーカーなんだから当たり前と言えばそうなんだけれど、こういう時に自分は何にもできんな、と思い知らされたのとレイキが日本で普及していったタイミングとがちょうど一致してたんだろうね。

 

それではレイキはどんなふうに日本で発展してきたんだろうか。望月俊孝先生の名著、「癒しの手 宇宙エネルギー『レイキ』活用法」の帯には「欧米を席巻した東洋の神秘」「ボディーに効く」「マインドに効く」「ハートに効く」とある。

 

日本で初めて出版された(西洋式)レイキに関する書籍、「レイキ療法」のカバーの袖には、「レイキは、ペットや野生生物を治癒したり、植物の健全な育成に役立つほか、人間の健康を回復させ、末期症状の肉体的、感情的苦痛を和らげる作用もある、非宗教的な科学的技法である。」と記されている。当時の東洋医学関連の雑誌にもちょくちょくレイキセミナーの広告が掲載され始めていたのだけれど、基本的に「効果的なテクニック」であることが謳い文句にはなっていた。たくさんの人びとがレイキを学ぼうと考えるようになった動機は「心身の苦痛の改善」であることは間違いのない事実よね。レイキ「療法」という書籍のタイトルがそれを雄弁に物語っていると思う。(ちなみに同書は翻訳本で、原題は「ザ・レイキ・ファクター」)

 

それからかれこれ30年、レイキはすっかり日本社会に定着した。それでね、実数がいくつあるのか知らないけれどレイキ関連の団体というのがあっちこっちに存在する。それぞれがよそとちょっとずつ違ったレイキを提供しているということね。逆に言えばそれは、レイキを学んでも「心身の苦痛の改善」がうまく行かない人がたくさん存在するということの裏返しでもあるわけよ。

 

その理由については別の記事で書くつもりなんだけれど、レイキ関連の団体で「レイキは治療が目的でなく心の平安を得ることが本来の目的である」ということを言ってるところがある。まあ、90年代に出版された前掲書「癒しの手」にも「入り口は健康、ゴールは悟り」という項目があるくらいだから、全く見当はずれの主張ではない。けれども安心立命を目標とすることは、レイキのセッションで心身の苦痛が改善しないことの理由にはならない。言葉を選ばずに言えば大半のレイキ関連の団体は、セミナーを受講したりヒーリングを受けたりする人のニーズにこたえていない、ということになる。

 

おそらくこれは他のヒーリング技法一般でも、補完医療の世界でもおなじことだろう。症状が施術の前後で全く変化がなくても、下手すりゃ症状が増悪してもなんだかんだ言って施術を継続させるところはあるものね。好転反応なんてまだ言ってるところあるのかな。

 

要するにビジネスにするにせよ身内に病人がおられるにせよ、クライアントが苦しんでいる症状が「今」改善することを願って人はヒーリングを学ぶ。改善しないことを安心立命みたいなタテマエに置き換えてしまうと、やってることはカルトと大差なくなってしまうんじゃないかな。