マインドフルネスは「習う」ものなのか | クラニオセイクラルな日々-あたまをさわれば幸せになる

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大阪市淀川区西中島かなや整骨院院長のブログ

ココロに効く、カラダに効く、クラニオセクラル・セラピー

以前から流行の言葉に「マインドフルネス」というのがある。「今ここ」に集中、ということは過去の後悔やら未来への不安やらから自由になり、ひたすらリラックスする、ということらしい。そうすることによってストレスから解放され、睡眠の質が向上し、集中力が向上し、仕事の効率が上がる。

 

そのために自分の呼吸に注意を向けながら瞑想をするという。寝てしまわんか?世間にはマインドフルネスを教える教室というのまで存在する。自然体でリラックスするというのは意識すると難しいもんなんだろうか。月謝を払って会社の帰りに着替えをもってジムに通うそのこと自体はエグゼクティブなんだろうけれど、「今ここに集中しろ」と言われてもなかなか頭の中は空っぽになってはくれない。せっかく月謝を払っているんだからマインドフルネスしなければ、とか思うのは却ってリラックスと対立する態度じゃなかろうか、とオレなんかは思う。その辺のニュアンスをよく伝えるのが古典落語の「あくび指南」という噺じゃなかろうか。

 

実は、マインドフルネスという言葉が一般的になるはるか以前から、「いっぱいいっぱいになった頭の中にスキマを作るため」においでのクライアントはちょこちょこあった。守秘義務があるから詳細は書けないけれどメチャメチャ大きな会社の社長とか政治家とかプロのアスリートとかは時たまそうやってアタマの中を空っぽにする必要性みたいなのを知っているんだろうね。というかそれができているからエグゼクティブなんだろうと思う。

 

頭蓋仙骨療法を受けるとね、イヤなことも辛いことも全部どっかに行ってしまってひたすらリラックスできる。「あっちへ行った感じ」という表現をしてくださったクライアントがおられるんだけれど、過去とか未来とかの時間の連続性から解放された、という意味みたい。どこやねん、「あっち」って。ようは本物のエグゼクティブはマインドフルネスを習いに行ったりはしてないということ。

 

オレの個人的意見としては泥酔してしまった状態も「マインドフルネス」なんだと思うんだけれど二日酔いはキツイし健康にもよろしくない。近所の治療院で頭蓋仙骨療法を試してみて。もちろんオレのところに来てくださっても歓迎しますぜ。