原発映画をいろいろ観てきたよ
311後、とにかく錯綜してわかりにくい原発の情報。
でもやはり、知らないことには始まらないしなあ。。
というわけで、最近は、空いた時間にちょこちょこと原発映画を観に行ってました。
特集上映たくさんやってたからなんだけど、どこも満席だったなあ。
観たのは、全部で6本。だーーーっと感想を書きますよ!
(「ミツバチの羽音と地球の回転」は以前に見てたのでこちらに感想アリ)

「100.000年後の安全」
フィンランドで建設中の、世界初の高レベル放射性廃棄物の永久処分場を取材したドキュメンタリー。10万年というのは、放射性廃棄物が危険がなくなるまでの時間なのだそうだ。その期間、安全に保管するということがいかにたいへんか、そしてそういうものを生み出すものが原発なのだ、という重い事実を突きつけてくる。
ただ、コンセプチュアル・アーティストであるらしいマイケル・マドセン監督、「10万年後の人類に、いかにこれが危険かを伝えるか」という未来妄想に心を奪われすぎてて、肝心の現在の問題があまり扱われていなかったのは残念。たぶんこの人、原発問題より、この処理場という装置に興味があったんだろうなあ。それゆえに、映像はとことん美しい。
それにしても、地層の固いフィンランドだからこんな永久処分場もつくれるけど、地震の多い日本ではきっと無理な話。じゃあ日本で廃棄物はどうするの??疑問がむくむくと沸いた。

「六ヶ所村ラプソディー」
「ミツバチの羽音と地球の回転」の鎌仲監督作品。
2004年に青森に完成した六ヶ所再処理工場(原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す工場)と、その周辺の人々を中心にしたドキュメンタリー。工場稼働に反対するごくごく少数の人々(おそらく、周りからは変わり者と見られていたであろう)と、工場によって経済的に幸せになった人々の両方を平等な目線で描いている。この映画を見ると、どのように日本で原発が次々に建設されたのかがよくわかる。原発の問題は、原発だけのことじゃない。もともとその地域にある、過疎化や、仕事不足や、いろいろな問題が絡んでいたことが切実なほどにわかった。複雑すぎる。。。

「六ヶ所村通信vol4」
「六ヶ所村ラプソディー」の続編。
前作とは違い、原発反対派が多く登場する。全国の若いサーファーなどが、東北を縦断しながら、反対運動を展開している。その反対派の人々に対する電力会社のぬるい対応を見ていると、福島の事故は起こるべくして起きたのだなあ、と納得してしまう。
それにしても、舞台が東北だけに、津波の被災地がたくさん登場するのがかなりつらかった。宮城県の荒浜でのシーン。。。あの浜で、のんびりとインタビューに答えたおじさんはいま生きているのだろうか?「原発のこと、考えてもしょうがないよ、もう年だしね」と答えていたあの老人は生きているのだろうか?。。。胸が痛かった。

「ヒバクシャ」
同じく鎌仲監督作品。
本作では、原発だけの問題に留まらず、世界の放射線被害者を追っている。
イラクには、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾により白血病になった子どもたちがいる。日本の広島・長崎には原爆被害者がいる。その原爆のプルトニウムを生産したアメリカのハンフォードでは、50年以上も、世界でも最大量、高濃度の核廃棄物の汚染にさらされている。
この映画を見ると、いまよく聞く「なんで日本という国は~」「なぜ日本人は~」みたいな批判が、別に日本だけの話じゃないことがよ~くわかる。
世界中どこにいっても、原子力を思い通りに使えると過信する政府がいる。隠蔽だってある。核実験もある。それって結局、地球のどこに逃げたって危険から逃れられないってことじゃない!?心の底からぞくっとした。そして、どの世界でも、それに反対し戦う人と、傍観し受け止める人の両方が必ず存在する。映画に出てくる兄弟は、同じ環境で被曝しているのに、正反対の行動をとっていた。人間のその差(どちらがいい悪いという意味ではなくて)はいったいどこから生まれるのだろう?

「ナージャの村」
写真家・本橋成一監督による、チェリノブイリ原発事故で汚染された小さな村の日常を追ったドキュメンタリー。この村は、政府から立ち退き命令が出たにもかかわらず、6家族が残っている。世間から見ると、恐ろしく危険な場所だというのに、村人は普通に生活を送っている。荒廃した学校はいまもそのままなのに、人々はじゃがいもを収穫し、自家製ウォッカをつくり、豚から自家製ソーセージをつくる。汚染地区とは思えないほど、村と森は平和で、うっとりするほど美しい。だけど、少しずつ、住民は減っていく。寂しく美しい映画だった。
ただ、なぜ立ち退き命令が出たのに住み続けていられるのか、この村で癌が発病した人はいないのか、など、原発がらみで知りたい情報がほとんどない。だから、そういった情報を求めて観た人には物足りないかもしれない。

「アレクセイと泉」
同じく本橋監督。坂本龍一が音楽を担当し、ベルリン映画祭で好評を博した作品。もし「ナージャの村」と迷ったら、断然、こちらがオススメする。映画として、本当に完成度が高い。すばらしい作品だった。心から感動した。
本作もチェルノブイリ被災地の小さな村が舞台。ここは強制立ち退き地区ではなく、自主避難勧告地区。この村の学校跡からも、畑からも、森からも、採集されるキノコからも放射能が検出されるが、不思議なことに、この村の泉からは放射性物質はいっさい検出されない。
村に残った人々は、その泉を心のよりどころとして、ささやかな日常を紡いでゆく。
この村に水道はない。電気も少ししか使ってない。ガスもない。極寒のなかを、毎日、泉に水を汲みに行く村人たち。それでも村が不幸せなかんじはしない。パンケーキをつくり、ガチョウの丸焼きを焼き、キノコ取りに行き、糸をつむぎ、機織りをして、ポルカを踊る。
人間にとってエネルギーとはなんなんだろう?豊かさとはなんだろう?生まれ育った場所とはなんなんだろう?深く考えさせられた。
終演後に本橋監督のトークが少しあって、こんなことを言っていた。
「この村には何度も政府の役人がやってきて、”アパートを用意したから引っ越しを”と勧めてくる。でもそのたびに、村のお母さんはこう返事する。”うちには馬がいます。豚もいます。山羊も猫も犬もいます。この子たちをみんな連れて行っていいなら、引っ越します” そういうと、役人は話にならない、と帰って行く」
どうしたって福島と重ねざるを得ない。せつなすぎる傑作。
でもやはり、知らないことには始まらないしなあ。。
というわけで、最近は、空いた時間にちょこちょこと原発映画を観に行ってました。
特集上映たくさんやってたからなんだけど、どこも満席だったなあ。
観たのは、全部で6本。だーーーっと感想を書きますよ!
(「ミツバチの羽音と地球の回転」は以前に見てたのでこちらに感想アリ)

「100.000年後の安全」
フィンランドで建設中の、世界初の高レベル放射性廃棄物の永久処分場を取材したドキュメンタリー。10万年というのは、放射性廃棄物が危険がなくなるまでの時間なのだそうだ。その期間、安全に保管するということがいかにたいへんか、そしてそういうものを生み出すものが原発なのだ、という重い事実を突きつけてくる。
ただ、コンセプチュアル・アーティストであるらしいマイケル・マドセン監督、「10万年後の人類に、いかにこれが危険かを伝えるか」という未来妄想に心を奪われすぎてて、肝心の現在の問題があまり扱われていなかったのは残念。たぶんこの人、原発問題より、この処理場という装置に興味があったんだろうなあ。それゆえに、映像はとことん美しい。
それにしても、地層の固いフィンランドだからこんな永久処分場もつくれるけど、地震の多い日本ではきっと無理な話。じゃあ日本で廃棄物はどうするの??疑問がむくむくと沸いた。

「六ヶ所村ラプソディー」
「ミツバチの羽音と地球の回転」の鎌仲監督作品。
2004年に青森に完成した六ヶ所再処理工場(原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す工場)と、その周辺の人々を中心にしたドキュメンタリー。工場稼働に反対するごくごく少数の人々(おそらく、周りからは変わり者と見られていたであろう)と、工場によって経済的に幸せになった人々の両方を平等な目線で描いている。この映画を見ると、どのように日本で原発が次々に建設されたのかがよくわかる。原発の問題は、原発だけのことじゃない。もともとその地域にある、過疎化や、仕事不足や、いろいろな問題が絡んでいたことが切実なほどにわかった。複雑すぎる。。。

「六ヶ所村通信vol4」
「六ヶ所村ラプソディー」の続編。
前作とは違い、原発反対派が多く登場する。全国の若いサーファーなどが、東北を縦断しながら、反対運動を展開している。その反対派の人々に対する電力会社のぬるい対応を見ていると、福島の事故は起こるべくして起きたのだなあ、と納得してしまう。
それにしても、舞台が東北だけに、津波の被災地がたくさん登場するのがかなりつらかった。宮城県の荒浜でのシーン。。。あの浜で、のんびりとインタビューに答えたおじさんはいま生きているのだろうか?「原発のこと、考えてもしょうがないよ、もう年だしね」と答えていたあの老人は生きているのだろうか?。。。胸が痛かった。

「ヒバクシャ」
同じく鎌仲監督作品。
本作では、原発だけの問題に留まらず、世界の放射線被害者を追っている。
イラクには、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾により白血病になった子どもたちがいる。日本の広島・長崎には原爆被害者がいる。その原爆のプルトニウムを生産したアメリカのハンフォードでは、50年以上も、世界でも最大量、高濃度の核廃棄物の汚染にさらされている。
この映画を見ると、いまよく聞く「なんで日本という国は~」「なぜ日本人は~」みたいな批判が、別に日本だけの話じゃないことがよ~くわかる。
世界中どこにいっても、原子力を思い通りに使えると過信する政府がいる。隠蔽だってある。核実験もある。それって結局、地球のどこに逃げたって危険から逃れられないってことじゃない!?心の底からぞくっとした。そして、どの世界でも、それに反対し戦う人と、傍観し受け止める人の両方が必ず存在する。映画に出てくる兄弟は、同じ環境で被曝しているのに、正反対の行動をとっていた。人間のその差(どちらがいい悪いという意味ではなくて)はいったいどこから生まれるのだろう?

「ナージャの村」
写真家・本橋成一監督による、チェリノブイリ原発事故で汚染された小さな村の日常を追ったドキュメンタリー。この村は、政府から立ち退き命令が出たにもかかわらず、6家族が残っている。世間から見ると、恐ろしく危険な場所だというのに、村人は普通に生活を送っている。荒廃した学校はいまもそのままなのに、人々はじゃがいもを収穫し、自家製ウォッカをつくり、豚から自家製ソーセージをつくる。汚染地区とは思えないほど、村と森は平和で、うっとりするほど美しい。だけど、少しずつ、住民は減っていく。寂しく美しい映画だった。
ただ、なぜ立ち退き命令が出たのに住み続けていられるのか、この村で癌が発病した人はいないのか、など、原発がらみで知りたい情報がほとんどない。だから、そういった情報を求めて観た人には物足りないかもしれない。

「アレクセイと泉」
同じく本橋監督。坂本龍一が音楽を担当し、ベルリン映画祭で好評を博した作品。もし「ナージャの村」と迷ったら、断然、こちらがオススメする。映画として、本当に完成度が高い。すばらしい作品だった。心から感動した。
本作もチェルノブイリ被災地の小さな村が舞台。ここは強制立ち退き地区ではなく、自主避難勧告地区。この村の学校跡からも、畑からも、森からも、採集されるキノコからも放射能が検出されるが、不思議なことに、この村の泉からは放射性物質はいっさい検出されない。
村に残った人々は、その泉を心のよりどころとして、ささやかな日常を紡いでゆく。
この村に水道はない。電気も少ししか使ってない。ガスもない。極寒のなかを、毎日、泉に水を汲みに行く村人たち。それでも村が不幸せなかんじはしない。パンケーキをつくり、ガチョウの丸焼きを焼き、キノコ取りに行き、糸をつむぎ、機織りをして、ポルカを踊る。
人間にとってエネルギーとはなんなんだろう?豊かさとはなんだろう?生まれ育った場所とはなんなんだろう?深く考えさせられた。
終演後に本橋監督のトークが少しあって、こんなことを言っていた。
「この村には何度も政府の役人がやってきて、”アパートを用意したから引っ越しを”と勧めてくる。でもそのたびに、村のお母さんはこう返事する。”うちには馬がいます。豚もいます。山羊も猫も犬もいます。この子たちをみんな連れて行っていいなら、引っ越します” そういうと、役人は話にならない、と帰って行く」
どうしたって福島と重ねざるを得ない。せつなすぎる傑作。
ねぶたに行こう
今年の夏、自粛や警備の問題やもろもろあって、
東京の祭りはいくつか中止になります。
すでに中止が決定しているのが、浅草サンバカーニバルと三社祭。
(サンバ、「自然エネルギー」なんてテーマでパレードしたらおもしろいのにね!
世界で一番幸せなエネルギー提案ができるよ)
残念。。。と思ってたら、
仙台のたなばた祭り、青森のねぶた祭り、福島の相馬野馬追は開催が決定したよう。
すばらしい!!!!!!!
実は、青森のねぶた祭り、有名なのは山車ですが、
ダンスで一般参加もできるのです。
跳人(ハネト)と呼ばれる踊り手は、
衣装さえ準備すれば誰でも参加できる仕組み。(詳しくはこちら。)
この話を去年知って、いつかは行きたいと思っていたねぶた。
で、そんなことをTWITTERでつぶやいたら、
青森の方が「いつかと言わず、今年ぜひ!」と反応してくれました。
そしてフラメンコでつながっていたフォロアーさんからも、
「青森出身です。ぜひ!」との声が。
そ、そっか~~~!
こんなときだからこそ、東北旅行ってアリかも!!
毎年、夏はどこかの盆踊りに参加するようにしてたけど、
今年はねぶたで踊ればいいんだ!!!
。。。というわけで、我が家は今年、ねぶたに行くことを決めました。
せっかくなので、友だちなんかにも声をかけている今日このごろ。
で、きのうは、一日復活したどよう酒場
(祝島のひじきなど、なにもかもうまし!ごちそうさまでした!)
で知り合った六本木農園の園長さんとも、
祭り好き&ダンス好きらしく、ねぶたの話で盛り上がりました。
(園長さん、ぜひ一緒にいきましょう!
で、東北のうまいもの食べましょう!)
なんだか楽しくなりそうな気がしてきたぞ。
というわけで、興味あればみなさまもぜひに☆
ラッセラー♪
ゲイハウス

そう、ひさびさに。
双子猫をまた預かっていたのです。
さらにメタボ化した巨大双子猫。
この二匹、乳をはあはあ言いながら吸ってたり、
どうも雰囲気がゲイくさいとまえに書きましたが、
ついにレンぞうまでおかしいことになってきました。
前のケンカモードじゃなくなったのはいいんだけど。。。

かわいい顔ですやすや眠るセイ吉。熱く見つめるレイ太郎。

レイ太郎が寝込みを襲う。
そしてそれを嫉妬の目でじーっと見るレンぞう。

押し倒されるセイ吉。

セイ吉をめぐり、レンぞうとレイ太郎のケンカが勃発!!
けりけりけりけりっっっ!!

かと思ったら、レンぞう、レイ太郎に無理矢理ちゅー!
。。。みたいなことを毎日やっておるのです。
メタボ三匹が。
あ~~~暑苦し~~~~。
というわけで、今日も謎の三角関係はつづいています。

そして夜はこんなかんじ。円形寝のメタボ双子。
ヤン・リーピン「クラナゾ」

中国の国民的ダンサーであり振付家、ヤン・リーピン。
その彼女の新作舞台「クラナゾ」を観てきたのです。
前回の「シャングリラ」がすごくよかったので。
だけど、東京はいまはこんな状態。
大人数だし無理かなあ。。とあきらめてのだけど、なんと来日。
なんでも四川大震災のとき日本にお世話になった御礼だそうで、
チケット代の一部も義援金にまわしてくれるとか。
うわあ、ありがとう、ヤン・リーピン!!
で、その舞台。
前回は自身のルーツである中国の少数民族がテーマ。
今回はチベットがテーマ。
だから前回よりは落ちるかもなあ。。とは思っていたけれど、
途中までは、予想以上の期待はずれ。
見ればわかることまでいちいち説明する、過剰な字幕説明。
土着感や厳かな宗教観を損なう、ギラギラしすぎの照明。
流れを止めてしまう、セリフや演劇的要素(ちょっと多すぎ)。
あげくのはてに牛舞のサービス的なあの歌。。。
うわわわ、日本ずれしたヤン・リーピンなんていらんっっっ!!
観たいのは「本場の土着で濃厚な空気感」なんだようっっ!!
そんなこんなで、衣装や踊りはそれなりにすばらしいのに、
どうも舞台に入り込めそうで入り込めず、
こりゃまいったなあ。。とぼーっと観ておりました。
でもそこはヤン・リーピン。
後半からぐぐぐっと盛り返してきました。
畳み掛ける迫力の群舞、
そしてヤン・リーピンのソロダンス!!
時間的にはとても短かったけど、やっぱあの人、すごいや。
3階席から観てたのだけど、そこまでびしばし届く「気」。
ダンスのうまい人、というより、生き神様の踊りを見ているようだった。
そう、今もし大きい地震が起きても、
オーチャードホールだけは、全く被害にあわないんじゃない?
とまで思ってしまいそうな、特殊な空気感。
聖なる密教寺に迷い込んだようだった。
(でも、私と違う日に見た知人は、かなり舞台近くで観てたのに
「気が少し弱かった気がする。あの日は調子悪かったのかなあ?」
という感想。日によって差があったのか、
それとも感じ方の問題なのか。。??)
とにかく、ちょこちょこ不満はあれど、
結局はさすがだったヤンリーピン。
シンディローパーといい、神さまは、
世界のあちこちに地球を癒す存在を産み落としているのだなあ。。。
そんなふうにしみじみ思った公演だったのでした。

