真夜中のスピリチュアル整体小噺 | 尼崎の矯正しない整体院・かいつう館です(^^)

尼崎の矯正しない整体院・かいつう館です(^^)

1回の時間はかけますが、やることはとことんシンプルに。
笑って良くなる整体院を目指しています。お客さんを通わせない、技術の出し惜しみをしない、楽になってもらいたい、という気持ちを忘れない。そういう思いで、整体をさせていただいています。

ふとしたやり取りで、昔、みんちゃんが言ってたことを思い出しました。
彼女、3~4歳くらいのころかな、自分で「みん(自分)がカミサマやんか~」と言っていたんです。
今は、どう思ってるのかわかりませんが、後ろに光ってるカミサマがいたりするのは言うときがあります。
自分がカミサマで、外に自分を守ってる神様が居る、て僕はステキだと思っています。

僕には、スピリチュアルなことが好きな人が知り合いに何人かおられるんですが。
みなさん、その辺にいるような方たちばかりです(失礼。笑)。

で、僕はそっち方面の能力とかな~んもないんですよ。
見えたり聞こえたり感じたり、てことがないんです。

ただね。
もし、なにかが見えようと聞こえようと感じようと、、、

冒頭に戻るんですが。「自分が(自分のなかに)・・・」ていうみんちゃんの言葉は覚えておきたいと思うのですよ。
神様というと、外部に、自分と切り離して考えたくなる。
外から、神様として声を聞いたときに、外部のそれを妄信するのは、とても怖いと僕は思うのです。

たとえば、カミサマの声が聞こえてきたとしますよ。
それを目の前の人に告げるとしますよ。
そのとき、その言葉をカミサマの声じゃなくて、自分の言葉としてしゃべってもおかしくないのか?って自問したい。

神様のお告げではなく個人としてそれを伝えたときに、相手に殴られるような、相手を怒らせるような、相手を傷つけるような、相手を落胆させるような言葉であれば、、、果たしてそれを外部の神様の言葉として伝えていいのだろうか?自分が言うなら相手が傷つくような言葉を、神様がおっしゃるのか?

外のカミサマがこういってる、だから私はそれに従わなければ・・・ってときに、自分の内部にもカミサマが、って思い出せたら、内部のカミサマが「それ、変だよ」て囁いてくれて止められるもんね。


整体をしてると、いろんなお客さんがいろんな先生に様々なことを言われているのがわかります。
将来、あなたはこうなるね、付き合っていくしかないね。とか。
予言ですよね、こうなると。
でね、それを自分の子どもであってもそういうふうに言うん?ってことなんですよ。

自分の子どもでも、「お前ね~あと五年もしたら、ここが痛くなってくるよ~一生つきあうしかないだろうねえ」って言う?
見える聞こえる感じる、というのはつまり「わかる」ということなんですが、わかったことを、一度内側のカミサマに「これ、伝えていい?違う表現がいい?」って相談する人間らしい「迷い」があったほうがいいんじゃないかな、って思ったりするんですよね。