同じ尼崎市の整体屋さんが、今回は違うコースで再来店してくれました。
心情的に近くの整体屋さんには行きづらいらしく、ちょっと遠いのですが、かいつう館までわざわざ。
なんと言うか、同業者の方にリピートしていただくと、ちょっとうれしいような。
ま、それはおいといて。
もう10回以上、腰痛できてくださっているお客さんからこんな話を聞きました(おいおい、10回もかかってるやんけ、ですね。苦笑)。
「かいつう館に電話しようと想いながら、指が止まるんだ」と。
電話していいのだろうか、と。
なぜか?
その方は、こういう表現をされました。
「自分の信じている宗教が変わりそうで、、、」というニュアンスのことです。
あっ、、別にうちに来たからといってなにかの宗教を勧めていることはありませんよーーーーーー。
要は「人体」「人体観」といったことに対する考え方、がそれまで受け入れていたものからかいつう館式に変えられてしまいそうで、ということみたいなんですね。
ま、無宗教の人でも「信じているもの」があるなら、それは一種の宗教です。
昔なら「男のほうが優れているから、働くのは男の方がむいている」とかね。
UFOは絶対に存在しない、と「信じている」とか。
人体も、人によって信じているものが確かにあると思います。ただ、それでうまくいかなくなったとき、整体屋さんなんかが、こんな人体観もあるんですよー、と実地で説明してあげる。
そういうことも確かにやります。
彼はそれだけふだんから自分の体のことには熱心です。情熱を持ってます。だから僕も自分がやっていない療法の本でも貸してあげたりするようになってしまいました(苦笑)。
整体に携わる人間にはたぶん、「人体とはこういうものだ」という宗教がある、と思うときがあります。
僕は、そこ(整体屋さんのある意味宗教的な部分)にどれだけ「救い」があるか、だと思うのです。
それは善悪二元論なのか、すべては善へのプロセスにすぎないのか、とか。
つきつめる人にだけ、深みをみせてくれる整体業(行)のような気がしています。