正座をすると仙骨に体重がのっかって痛いんです、という方が遠くからお見えになられました。
全身をゆるめたあとに、正座をしてみてもらいました。痛いのがわかっていてしてもらうのは気の毒なんですが、実際にしてもらわないと、良くなってるかどうかわからないですものね?
そういうときにツライ、とおっしゃられてるわけですから、そういうときの痛みを解消してあげたい、と思うんです。
ほとんど痛みはなくなっていたのですが、まだ違和感レベルでは感じるそうです。
もうちょっとだな~と思って、施術を続行しました。
一度、正座から座位になってもらって、お腹の奥のほうをさぐってみると、かなり痛そうな筋肉に指があたりました。それでそこをゆるめてみました。
少なくともこの場ではオッケーになりました。正座から座位に変わるときにもまったく痛みを感じなかったそうです。
今から書くことは「想像」の話ですので、科学的な根拠とか求めないんでほしいのですが(苦笑)。
ここに円柱のもの(茶筒とかドラム缶とか)があるとします。
それをポンと台におきます。
この円柱のものが人体としたときに、果たして仙骨のあたりに体重がのるか?という想像をしてみたんです。
仙骨のあたり、って体のかなり端っこですよね?
円柱に前後ろはありませんが、あるとしたら後ろ側の壁に張り付いてるくらいの位置だと思うんです。
円柱を立てた状態だとしたら、そんな端っこに体重が集中的にかかるものなんだろうか・・・。
底面にはまんべんなくかかっている、と言いたいところだけど、人体は完全な円柱でもないし・・・。少なくとも「真ん中」には「そんな後よりも」集中的に体重がのっかっていないだろうか?
それで腹部の奥のほうを座位でさぐってみたんです。
いつも書いていますが、お客さんはウソを言わない。
正座で体をまっすぐに立てたら「仙骨に」「体重がかかって」「痛い」。
これはウソじゃないんだろう、と。
ただし、仙骨が痛いのであって、見た目には仙骨に体重をかけていない。これはそう「感じている」ということ。
見た目とお客さんの訴えとが一致してるのは、「正座で体をまっすぐに立てたら、体重がかかって仙骨が痛い」という表現になります。
じゃあ、どこに体重がかかっているんだろう?
という想像をしてみます。
文章を組み立て、文章を分解して、文章を再構成してみると、(科学的にあってるかどうかはともかく)矛盾のない結果を導いていけることがあります。
仙骨に体重がかかって痛い、というときに施術する側としては、実際に仙骨に体重をかけさせたり、仙骨にのっかってる体重を避けさせたらどうなるのか、など検討してみないと、「実際のところは」「まだ」「確定ではない」と僕は思います。
この方もうつ伏せで仙骨のあたりをさわらせてもらいました。ほとんどと言っていいくらい痛がりませんでした。訴えはキツイ状態であるにも関わらず。これなども、仙骨の「あたりが痛い」わけではないことの傍証になりそうですよね。
こうやって、検査ではなく、文章上で整合性があるかどうか、に気をつけていくと従来の整体では見えてこなかった風景が見えてくることがありますよ。
今日もありがとう。