昨日の夜に、同じ整体の勉強をしてた人が遊びに来てくれた。
いろーんな話をしました。そこで、特に印象に残ったのが
「もしかしたらだけど、、、本当は、僕たちは治しているわけじゃなくて、、、」
最初はね、「なんやかんやで人間って、治って行くところがすごいよね」から始まって。
このまえの「ジストニア」の話、覚えてますかね?あれなんてその最たるものだけど。
その人の「内」に、ちゃんとした機能やパワーがあった、としか思えないのよね。
例えば、100の生命「力」があったとして、腰痛になったらその生命「力」が50に減って、腰痛「力」が50になる。
そんな風には思えないのよね。
ちゃんと生命「力」が100あって、その上に腰痛「力」が50乗っかってるような、、、。
崩れた瓦礫の下に、ちゃんと光かがやく生命「力」が無傷(100の力)で残ってますよ~、というか、、、。
それを、僕たち整体師は一生懸命、掘り出してくる。まわりの瓦礫を掻き分けかきわけしながら、探し当ててくる。
「ほらっ、ありましたよっ。無傷の生命力がっ」
僕たち整体師が治すも何も、、、元からちゃんとありますやん!
つまり、生命力、自然治癒力、を誰か他人が外から与えているわけじゃなくて(当たり前のことですがね)、埋もれかけた「それ」を見つけてきてあげるプロセスが整体や癒しなんじゃないか。
そんなことを熱く語り合いながら、短くも充実したひと時をすごしたのでした。
僕たちの、旅の行程はまだまだ続きそうです。