整体やカイロプラクティックの学校で習ったとおりのことをするから「できない。結果がでない」のではないか、と思うことがあります。
「こういうときはこうする」と習ったとして、
でも、やっぱり、それは。
テクニックやそのベースとなる理論に「お客さん・患者さん」を「合わす」ことになっているのではないか。
もし、その理論が「真理(ひとつしかないもの)」だとして、それを学校で教えているテクニックが表現できるものなら。
もっと、大勢の人が「確実」に改善されなきゃおかしい、と。
実際にそうなっていないのなら、先生方の技術がどうの(もあるかも知れないにしても)よりも、お客さん・患者さんに「それ」が「合ってない」と考えたほうが「早い」のでは?
(そうでないならば、理論やテクニックが間違っているか、先生のウデが悪いか、という話になってしまうのだけれども)
なぜ、目の前のお客さん・患者さんが良くなっていかないのか?
と、いうよりも。
お客さん・患者さんが良くなっていくように「テクニックや理論」の方を変えたらいいんですよね(笑)。
お客さんに「合わせ」たら、結果がでてくるのも当然だと思わないですか?
少なくとも、カイロにしろ、整体にしろ、医学にしろ、今、自分の目の前にいる人をモデルに理論や技術を考案したのではない。
考案した人の目の前にいる人をベースに作られたものであって、自分のお客さんをベースにしたものではない。
ね。
だからこそ、目の前のお客さんに、真剣に取り組まないと、なにも始まらないと思うのですよ。
真剣に取り組む、つまり「その人」のためだけに今を使い切る。
「その人に合わす理論やテクニック」とはそういうことだと思うから。
