色々な発展のおかげで少しずつ嘘がバレてしまう社会になってきました。これからもどこかに記録が残っていたり、テクノロジーによって嘘がバレるようになるでしょう。ではそれが良いことなのかと言うと、それは私も含めてみんな次第といったところでしょう。



「嘘がバレる」となると嘘つきが減ってスッキリするといったところばかりに視点が注がれます。でも嘘をつかない側にも求められることがあります。もう題名にもある通り『寛大さ』です。『優しさ』や『共感力』と言ってもいいでしょう。
というのも、もちろん意図的に、好きで嘘を付く人は勿論います。ですが、付きたくなくても嘘を付かざるを得なくなる人もいます。

これは私が実際に経験したことですが、物凄く小心者の新入社員が会社にやって来ました。ある日、その方が初めて来た会社というのもあってゴミの分別を間違えてしまいました。すると少し経ってゴミを管理している人が出てきて「これプラスチックに入れたの誰?出てきなさい!」と怒っているわけです。そんな状態ではもちろん小心者の新人は「私です」と出て行けないわけです。この新人の方は嘘つきなのでしょうか?

残念ながら今の世の中ならさっきの新入社員のような犠牲者が出てきます。社会的、技術的には平等になるかもしれません。男女とか人種とか… ただ表面的には進歩しても人間の心が進歩していなければより辛い、ギスギスした世界になります。「誰かに叩かれるから、怒られるから何もしないでおこう…」というように。挙げ句の果てには、「嘘が付けた頃の方が楽だったよね」なんて思うようになれば元も子もないわけです。
今までもこれからも同じです。私たちに起こる様々な現象というのは、私たちの精神的な成長の為、ただそれだけに起こっています。