あれから一年が経ちました、


被災地の皆さんにとってこの一年は本当に辛い一年だったと思います

でも時は何とか「一年」という時間を刻んでくれました、


最初にボランティアに行ったとき、本当にガレキだらけだった、

そして去年の暮れ、三度目に仙台を訪れたとき

比べ物にならないぐらい、町が整理されてた


もちろん、まだ十分ではないんだけど、人一人の力って凄いって本当に思った、

やってやれない事なんて無いんだなと強く思えた、



そして一人一人の心の傷も・・、



最愛の人を失うのは、悲しいという感情よりも

「苦しい」という感情の方が合ってると思う


その人と一緒に見た夕日や、空や、星や、月や、海や公園や・・

全く同じものを、その人が居なくなってから見るときがある

もっと細かな事をあげると、偶々一緒に見たTVのCM、ドラマの再放送等

それらを目の当たりにするたびに、その時の笑顔をリアルに思い出す



そして胸が締め付けられる


目を強く閉じながら、その場から逃げたくなる


その現実から逃げ出したくなる


辛くて苦しい瞬間


気が狂いそうになる


傷が癒えるまで、何どもこの残酷な嵐が襲ってくる


僕の場合はそんな時間を三年過ごしてきて・・・

正直、乗り越えてはいませんが、だいぶ傷は癒えてます

でも被災地の皆さんにとっては



「まだ一年」



本当なら、傷が癒えるような時はまだ過ぎてはいない



でも・・僕が知り合った仙台の皆さんはみんな明るい

明るく笑ってる

笑おうと努力し続けてる



前は、そういう笑顔に大して、こちら側が察して

「無理しなくていい」、と言ってやることが

その人に対する優しさかなとも思ったことがあったんだけど・・・、



いや、今もその気づかいは大切にしていきたいんだけど

それだけでは駄目なんだと

それだけでは、結果的にその人の努力に対して

足を引っ張る行為にもつながってしまう


だからそんなときは例え無理させてると感じたとしても

あえて精一杯、一緒に笑い合ってあげる事も大事なんだと

被災地の皆さんに、逆に教えられました、



亡くなる前の親父が、まだ子供だった僕に手紙で教えてくれた事



現実という名の残酷な嵐にぶち当たった時

出来ないのなら無理して立ってようとしなくていい

無理して踏ん張ってようとしなくていい

むしろ思いっきり吹っ飛ばされろ



その代わり、必ず、また立ち上がると心に誓え



それさえ約束出来れば遠慮なくぶっ倒されて構わない

そう思って、その嵐に挑んで行ければ

ちょっとだけ気が楽になる

そしてやがて、生きてる限り、いつか必ず顔を出してくれる太陽が

ずぶ濡れになったお前の体を乾かしてくれる



これからも生きてる限り

時は過ぎて、少しずつ、でも確実に時間が傷を癒してくれる

そしていつか必ず悲しみや苦しみが消えて

代わりに得ることの出来た人として大事なもの、だけが残る



そんな日が一日も早く来ることを心から願ってます



明日から、また新たな一年が始まります

これからも復興に向かって一緒に歩ませて下さい

明るい明日作りに協力させて下さい!




ボランティアに関わった皆さん、

例え微力でも何らかの手を差し伸べてくれた皆さん

例え仕事でも、震災関連に携わって下さった皆さん



そして



被災地の皆さん




すべての人達に一日も早い幸せが訪れることを、これからも祈り続けます。




10月15日は誰もが知る、僕の誕生日です

毎年、15日周辺になると名古屋では、僕の誕生日を祝ってカイト祭り

(またの名を名古屋祭り)と銘打って

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が約700人を従えて行進する

郷土英傑行列を行なって盛大に祝ってくれます、


いや、毎回毎回、もう、えーよってゆーてるんですけどね

      ↑

え?、これ自体が、もうえーよって?


失礼しました


でも名古屋祭りのこの時期に生まれるというのは僕の中の最大の奇跡でしてw

まさに名古屋の申し子というわけですw


これについては我慢しきれずに

1ヶ月も早く産み落としてくれたおふくろに感謝しておる所存ですw



ちなみに妹の誕生日がつい先日、10日にありました

ワケあって更新できなかった事を当日、お墓の前で

土下座してきましたw(これについてはいずれ更新します)


おふくろが近い日に生んでくれたおかげで、我が家では

家族の誕生日パーティーを1日で済ましてきましたが

パーティーを12日にするか13日にするかで

毎年、アホみたいに揉めておりましたw


結局ジャンケンで決めることになるのですが

実は僕、昔からジャンケンが

破滅的かつ絶望的かつ仏滅的かつアルマゲドン的に弱くて

13日に決行したのはほんのわずかです

サザエさんの最後のじゃんけん勝負対決では約ではありますが、


通算、10勝  20敗   65アイコという、


こうなったらサザエさんと結婚してやろうかと思うぐらいの気の合いようでして

最近じゃ、店頭に置いてあるサザエを見るだけでドキッとしてしまう始末です

こうなりゃ略奪愛です、奪ってやりますよ

この前も市場に置いてあるマスにガンを飛ばしてきた所です、やんのかってなもんで

天気予報の波の高さの情報は毎日、正座して聞いております

店頭に置いてあるタラコを見ると、あるだけ買ってしまいそうになります


話がありえない方向にすっ飛んでしまいましたが

早くも祝ってくれた友人もいました


一週間前に祝ってくれた友人A達・・・ありがとう


3日前に祝ってくれた友人B達・・・ありがとう


とうとう20台最後だなと言ってくれた友人C・・・ありがとう


「誕生日って確か明後日(16日)だよな」と言ってくれた上司・・・雷に打たれて下さい


「明日、誕生日だろ?、なんかくれ」と言ってきた先輩・・・でやねん


「良いじゃんかw」と言ってくれた先輩・・・ことぅわる!!


「え?違うの?」と言ってくれた上司・・・もう黙って下さい


「誕生日、雨予想だってよwwwwww」と言ってくれた友人・・・ぬっ殺す(号泣)



と、ちょいとチョケ過ぎた所でw


今後の豊富は特にありません、しいて言うなら

意地でもおふくろより長生きする事です!


出来れば俺も、おふくろの死に目には会いたくないのですが


もうこれ以上、おふくろに家族の死に目に会わす訳にはいきません!


なので大事な人をこれ以上、傷つけない為に、


死にものぐるいで1秒でも長く、そして明るく生きてやります!w




だから安心して長生きしてくれぃ、頼むぞ!





生んでくれてありがとう!





それでは今日の1曲w

季節外れですが親父とおふくろが初めて出会った日の曲です

僕と妹がこの世に生を受けるキッカケになった日の曲です!

ちなみに出会った場所は名古屋ではなく東京ですw

親父とおふくろの出会いに感謝!


http://www.youtube.com/watch?v=GPLww9qVCJ8



今日は妹の記念日ではありませんが

少しだけ、妹の事について書かせて下さい


おそらく、国すべてが興奮の坩堝と化していた

2009年3月、ちょうど野球のWBCが開催されてた時に

僕だけは心がそこにありませんでした

理由は、妹が一番苦しんでいた時期だったからです

そして2009年3月24日午後13時32分、


WBCの決勝が行われていた試合の真っ最中に

若干23歳の若さで、病気でこの世を去りました


僕は自分を責めました、妹の変化に気づいてやれず

女性との交際にうつつを抜かしてた自分を憎み続けました

自分の事を、よくもここまで憎めるもんだと驚くほどでした


今でも忘れない、医者の「何で、これ・・」

その後の言葉を飲み込みましたが、

告知で地獄の底に突き落とされ、

パニックに陥りそうになってた俺にも

その後の言葉が安易に想像つきました


「こんなになるまでほっといたのか」


ドラマとかでは飛び交ってるこの言葉、

実際に医者が言うのはあり得ないと思ってます

何故なら、ただでさえどん底に落ちてる遺族の

とどめを刺すような言葉だからです


あれだけ元気だった、笑顔が耐えなかった妹が

どんどん弱っていく、笑顔が消えていく

元気だった頃の妹を知ってるだけに

屈託のない笑顔を知っているだけに、きつい

見てるのがどんだけ辛いか

おそらく、誰でも、誰かを責めたい気持ちになるはずです

それが僕の場合、自分でした

今もそれは何も変わってません


それもあって2年5ヶ月前から僕の中で、

ある決意が芽生えました


人を笑わせること、身の回りの人、

出来るだけ多くの人を笑わせること、妹の分まで


別に芸人さんでもありませんが、そこの努力は惜しみませんでした

笑いを自分なりに必死になって勉強しました

勿論、芸人さんのように上手くはいきませんでした

滑る事の方が勿論多かったですし、空気を読めずに

怒らせてしまった人も居ると思います

その人にはこの場を借りて謝ります



ごめんなさい、ご迷惑をおかけしてすいませんでした



僕の未熟さゆえに妹の笑顔は消えていきました


俺はかけがえのない命一つ守ることの出来ない人間です

俺はかけがえのない命一つ笑わすことの出来ない人間です

俺は尊敬してた親父との約束一つ守ることの出来ない人間です


だからせめて、その罪滅ぼしのために

妹がつくるはずだった分の笑顔を

これから最高に楽しい経験を沢山していくはずだった

そこから生まれるはずだった沢山の笑顔の分も

会社の仲間、友達、おふくろ、そして

ボランティアで知り合い、今も交流のある

宮城のみんなに笑ってほしい、笑わせる


それが、僕の出来る唯一の懺悔です、償いです


震災から5ヶ月


僕の場合は親父も妹も徐々に命を削っていく形でした

それはそれで辛いんですが

かけがえのない人が突然、いなくなる、衝撃と悲しみは

おそらく想像を絶するものだったと思います


そこから、例え時間がかかっても立ち直ることの出来た

あなたがたを、立ち直る為に努力しているあなたがたを

心の底から尊敬します


そんな、あなたがたと、その心の中で生き続ける、

かけがえのない、魂すべてが永遠でありますように。




PS. 最近やっと見ることが出来るようになりました。

        ↓

WBC2009、3月24日、侍JAPAN、決勝MAD

http://www.youtube.com/watch?v=bzsHlEQgoSU