今日は妹の記念日ではありませんが

少しだけ、妹の事について書かせて下さい


おそらく、国すべてが興奮の坩堝と化していた

2009年3月、ちょうど野球のWBCが開催されてた時に

僕だけは心がそこにありませんでした

理由は、妹が一番苦しんでいた時期だったからです

そして2009年3月24日午後13時32分、


WBCの決勝が行われていた試合の真っ最中に

若干23歳の若さで、病気でこの世を去りました


僕は自分を責めました、妹の変化に気づいてやれず

女性との交際にうつつを抜かしてた自分を憎み続けました

自分の事を、よくもここまで憎めるもんだと驚くほどでした


今でも忘れない、医者の「何で、これ・・」

その後の言葉を飲み込みましたが、

告知で地獄の底に突き落とされ、

パニックに陥りそうになってた俺にも

その後の言葉が安易に想像つきました


「こんなになるまでほっといたのか」


ドラマとかでは飛び交ってるこの言葉、

実際に医者が言うのはあり得ないと思ってます

何故なら、ただでさえどん底に落ちてる遺族の

とどめを刺すような言葉だからです


あれだけ元気だった、笑顔が耐えなかった妹が

どんどん弱っていく、笑顔が消えていく

元気だった頃の妹を知ってるだけに

屈託のない笑顔を知っているだけに、きつい

見てるのがどんだけ辛いか

おそらく、誰でも、誰かを責めたい気持ちになるはずです

それが僕の場合、自分でした

今もそれは何も変わってません


それもあって2年5ヶ月前から僕の中で、

ある決意が芽生えました


人を笑わせること、身の回りの人、

出来るだけ多くの人を笑わせること、妹の分まで


別に芸人さんでもありませんが、そこの努力は惜しみませんでした

笑いを自分なりに必死になって勉強しました

勿論、芸人さんのように上手くはいきませんでした

滑る事の方が勿論多かったですし、空気を読めずに

怒らせてしまった人も居ると思います

その人にはこの場を借りて謝ります



ごめんなさい、ご迷惑をおかけしてすいませんでした



僕の未熟さゆえに妹の笑顔は消えていきました


俺はかけがえのない命一つ守ることの出来ない人間です

俺はかけがえのない命一つ笑わすことの出来ない人間です

俺は尊敬してた親父との約束一つ守ることの出来ない人間です


だからせめて、その罪滅ぼしのために

妹がつくるはずだった分の笑顔を

これから最高に楽しい経験を沢山していくはずだった

そこから生まれるはずだった沢山の笑顔の分も

会社の仲間、友達、おふくろ、そして

ボランティアで知り合い、今も交流のある

宮城のみんなに笑ってほしい、笑わせる


それが、僕の出来る唯一の懺悔です、償いです


震災から5ヶ月


僕の場合は親父も妹も徐々に命を削っていく形でした

それはそれで辛いんですが

かけがえのない人が突然、いなくなる、衝撃と悲しみは

おそらく想像を絶するものだったと思います


そこから、例え時間がかかっても立ち直ることの出来た

あなたがたを、立ち直る為に努力しているあなたがたを

心の底から尊敬します


そんな、あなたがたと、その心の中で生き続ける、

かけがえのない、魂すべてが永遠でありますように。




PS. 最近やっと見ることが出来るようになりました。

        ↓

WBC2009、3月24日、侍JAPAN、決勝MAD

http://www.youtube.com/watch?v=bzsHlEQgoSU