ならないのか?
と言う論点がむかしからあります。
結論から、そして
契約の基本という意味でこたえるなら、
「はい。なります。」
が一応の正解ということになる。
これは民法の契約の定義がそうなっているからで、
契約を法律の問題とかんがえれば、
やはり
口約束は、契約に、なります。
と答えるのが、
基本的にはただしいということになる。
が、
これではいかにも初級編のこたえであるので、
ただしい、
というよりは、
「間違ってはいない」
くらいの正解といえます。
つまり、
口約束でも、
当事者が意思表示しあって合意に達したのだとすれば、
民法上はそれを契約と呼ぶ、
だからその意味では
ただしいけれど
口約束のすべてが、
民法上の契約になるかどうか。
いいかえれば、民法は、
契約として成立しない口約束というものを、
どのように説明しているか。
という部分が説明できないといけない。
たとえば有名な、
カフェ―丸玉女給事件
というのがあるけれど、
これは口約束を、
特殊の債務関係と考えて、
給付保持力のみを認めた。
つまり、
約束そのものはあったのだから、
履行しても不当利得にはならないけれど、
約束をまもんなかったからって、
裁判で履行を強制することまではどうかなあ。
ということ。
伝統的にこれは、
自然債務だからといわれており、
補足意見のようなかたちで、
いや「心裡留保」だからとか、
「錯誤」だからとかいわれている。
だいじなのは、
ようするに、
口約束であっても有効な契約になるものと
ならないものがある、ということ。
よって、
口約束は契約になるのではなく、
契約になり得る、といえる
ってことだ。
そのうえで、
申込と承諾の意思表示があったにせよ、
・自然債務、
・心裡留保
・錯誤
・公序良俗違反
等で無効になることもあるし、
さらにいえば
未成年者、被後見人などの制限能力者のした契約、
詐欺または脅迫などの瑕疵ある意思表示、
によって取消しの対象になっていることもある。
取消しと、無効はちがうので、
厳密にいえば契約になるかならないかの論点では、
取消しについてまで気にする必要は無いのかもしれないけれど、
口約束が契約になるかどうかという話を
少し広げるとすれば、
やはり
成る場合
成らない場合
成っても、取消されるかもしれない場合
があるよ、
というところまで説明できないと、
深みがないんですな。
さらに、
強行法規によって、
要式契約とされているものは、
口約束では有効に成立させられないことや、
あるいは、
裁判例にみる「黙示の合意」理論なんかは、
口約束すらなかったのにもかかわらず、
契約があったものとみなされる、
ということもある。
最後にこれらを俯瞰してみるに、
結局は民法が、
意思主義と表示主義の、
バランスでもって契約をとらえられており、
調和をめざしているものなんだ、
とも読めてくる。
だから、
口約束は契約になるのか、といわれれば、
それはイエスでもあり、ノーでもある、
といいたくなってしまうのです。
