私の先祖は桓武天皇を祖とする桓武平氏。いわゆる四大武家の源平藤橘のひとつ。桓武天皇から4世代下った平良文(たいらのよしふみ)が祖先。なので平良文流とも称します。さてこの良文の息子の平忠頼(ただより)は良文の盟友で親戚でもある平将門(まさかど)の娘の春姫を正室に迎えた。平将門はじめ息子や娘は「平将門の乱」に連座して処刑されたが、春姫だけは後に鎮守府将軍に任ぜられた良文の嫁ということで生き延びて子孫を残せた。なので私はあの平将門の直系の生き残りとも言えるが危うく族滅を免れた。忠頼と春姫の息子のうち平将恒(たいら の まさつね)が後に秩父家、河越家の祖となる。下って鎌倉初期に源頼朝の弟の源義経の岳父になった河越重頼(かわごえしげより)は義経の東北平泉への逃亡の際に共謀を疑われて息子の河越重房(かわごえしげふさ)共々誅殺(斬刑死)されているが、かつて頼朝が伊豆に流刑になってから二十年以上も経済的に援助してくれた乳母の比企氏とその次女で源頼家の乳母でもある重頼の妻に免じこのときも族滅は免れた。重頼の刑死以後40年後に有力御家人に復帰し、鎌倉幕府滅亡に際しても足利氏に協力して関東管領と匹敵する権力を得るも室町時代にその関東管領家の権力争いに巻き込まれ伊勢国に一族は逃亡しここで歴史上の表舞台からは消える。だがここでも族滅は免れた。(笑)
その後、大分で地頭をしている一族に身を寄せた後で薩摩に移転し河越一族で4k平米の居城に永住。井の字の形の城(砦?)で「井之城」と呼ばれ、以後一族は井上を名乗る。直後に一族安泰安寧のために後ろ盾として地元九州の有名豪族の菊池氏から何世代にも渡って何度も嫁を取り、家紋も河越家の独特な三本傘又は三つ花菱から鷹の羽(画像参照)に換えた。以後幕末〜現代に至る。(説明がかなり駆け足ですみません)
先日、西郷隆盛公の子孫にお会いする機会があり、僭越ながら話の流れで自分の出自について説明する中で九州に移動した後で菊池家の女性を嫁に取り家紋も鷹の羽に改めている旨を伝えたところ、「実は西郷家は菊池家由来で、西郷隆盛も菊池という姓を使っていた」と拝聴。
その時はまあどちらもこの日本で生きていればどこかで縁(えにし)があるものかな?程度でスルーしてましたが、たまたま自分の家紋の由来を調べていくうちにその菊池家は西郷家に変遷している(換わっている)ことを発見!!
 
余談ですが、同じ菊池家の祖先を持つ西郷家は三河にもあり、あの徳川二代将軍秀忠の実母の(2023年大河ドラマ「どうする家康」では広瀬アリス演じる於愛の方(おあいのかた)こと西郷局(さいごうのつぼね)は、出身母体が三河西郷家の出なのは特筆です。秀忠は庶子の会津家藩祖の保科 正之(ほしな まさゆき)の実父でもあります。西郷隆盛公もあの幕末の雄藩の会津家家老の西郷頼母(さいごうたのも)とは遠戚だったことは知悉しており、幕末の混乱期に隆盛と頼母は交流があったようで改めてその辺の歴史の裏側を調べると凄い因縁です。頼母が会津家家老の経験者なのに生き残ることが出来た(他の会津家の上級家臣は全て自害か刑死しています!)のもそういう繋がり、手引きがあったからという説があります。頼母の息子吉十郎は明治になって米国陸軍の士官学校に留学していますが、隆盛公の推薦があったからとのこと。因みに、この二人の共通の祖先は、菊池則隆(きくち のりたか、生没年不詳)。平安時代後期の人物。藤原則隆とも記される。藤原政則(まさのり)の子。一説には中納言・藤原隆家(たかいえ)の孫とされる。隆家は藤原北家を代表する摂政関白太政大臣の藤原道長(みちなが)(*)の甥。道長の兄である摂政関白内大臣の藤原道隆(みちたか)の四男。菊池氏の祖。寛仁3年(1019年)の刀伊の入寇において大宰権帥として戦功のあった隆家の孫である則隆が肥後国に下向して土着し、藤原姓(藤原北家)を自称したとされ、各種系図上もこれに沿った内容となっている。(Wikipediaより)
 
(*)源氏物語の作者「紫式部(むらさきしきぶ)」の庇護者。主人公「光源氏」のモデルの一人という説もある。
 
 
まあ余談ついでに、、昔から曽祖父はじめ、自分の父やおそれながら自分自身(181cm、現85kg~過去最大で100kg)でもなんとなく西郷隆盛公(178~180cm、100kg超)に風貌(体格や雰囲気)が何故か似ているので、まさか薩摩南部の西郷家と関東から流れて薩摩の北端に居住することになった我が一族(河越井上家)が似ているなんてあり得ないし、ただの他人の空似、偶然なんだろうと思って自分自身完全否定してました。しかしながら改めて考えると、そりや何度も菊池家からお嫁さんを貰っていれば似てくるわ、と合点承知。長年の漠然とした謎が判明した次第。因みに菊池家の人たちは実家(都城市高城町四家)周辺に今も住んでいます。井上城(井之城)にお嫁さんと一緒に入城してそのまま住み着いて戦力と労働力として合力してくれた菊池家のご親族とその郎党の方々のご子孫と思われます。
長文失礼致しました。