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11日目は会計:福岡優太朗(社4/池田)です✨



僕の野球史〜やりたいことができないこんな世の中は〜


 行く年を惜しみながらも、新緑が目にしみて、青葉若葉のさわやかな季節となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。夏を思わせる陽ざしに、早くも日陰が恋しいようです。平素よりお世話になっております。先日引退しました、関西大学体育会準硬式野球部の福岡優太朗です。

 昔、祖父に「言い訳と自分語りはする男はモテないよ」と言われたことがありますが、今日は少しだけ自分のことを話します。これまでの野球人生でたくさんの人に支えられ、たくさんの仲間ができ、濃い思い出ができました。やっぱりハイボールと思い出は濃ければ濃いほどいいものです。



小学校時代

 小学3年生時、「浪速のマイケル・フェルプス」呼ばれていた僕は、スイマーになるか野球選手になるか迷っていました。なんとなくその時は野球が好きだったので、野球の道を選択しました。結果的に、チームスポーツを選んだ事で人として成長できたのは間違いないですし、野球を選んでよかったと思います。

 そして、双子の弟と少年野球チームに入った僕ですが、野球の才能だけは全て弟に持っていかれていたようでした。11試合連続安打などをかます弟の傍ら、バットが空を切る僕。ピッチャーと内野全般をこなす弟と、外野しかできなかった僕。このように野球の成績は全くだめだめでした。しかし、心の底から野球が大好きで野球を楽しんでいたのはこの時期だったと思います。



中学校時代

 思春期に差し掛かった頃、学校の野球部に入りました。2年生の夏には、キャプテンになり、「不動の1番センター」として公式戦でサヨナラヒットを3回打つなど、野球の成績としてはいい思い出の中学野球部時代でした。

 学校の部活動にしては、ものすごく厳しい環境で、練習時間も長く、監督さんもとても厳しい方でした。拳で壁ドンされたのは今でも鮮明に覚えています。僕の人生初の壁ドンでした。

 そして、僕はキャプテンとしては全くだめで、根が優しすぎる僕はチームを上手くまとめられず、厳しい監督さんの高い要求に応えることもできず、精神的にまいっていました。人間は精神が追い込まれすぎると食べたものが口から全部出てくることを学んだ中学校時代でした。



高校時代

 高校は家から近い池田高校に入学しました。いわゆる自称進学校で、文武両道が実現できる環境が整っていると思い入学しました。とにかく僕らの代は主体性がない、意志力がないと監督さんに言われ続け、「意志力」と書いた帽子を被って練習をさせられていたのはよき思い出です。

 最後の夏は金光大阪に4-6で惜敗し、大阪ベスト32で幕を閉じました。肝心の僕はというと、今をときめく関学準硬の田尻さんが好投を続ける傍ら、ベンチで声を出し続けていると、気づけば夏は終わっていました。今となれば、夏の大会で試合に出たのか出ていないのかすらも覚えていません。野球が終わったのに真っ白なユニフォームと声の出しすぎで真っ赤に炎症した喉の虚しさはいつまで経っても僕の脳裏に焼きついています。ただ、この高校野球部時代が1番人として成長できたと感じます。物事の本質を考え続ける力が鍛えられました。



大学時代

 教養があった僕は一般受験で、関西大学に入学しました。大学では、野球をするかどうか迷っていましたが、サークルのゆるい雰囲気と軽薄で浅薄な関係性が性にあわず、気づけば、体育会準硬式野球部に入っていました。体育会というレベルが高い環境で、なんの才能も実績もない少し体がごついのと、顔と雰囲気が岡本和真に似ているだけの僕が、通用するのか不安でした。

 案の定、案の定でした。下級生の頃は、思うような結果が出せず、腐りきっていました。1回生の冬の練習試合中、得点板の裏で、寒い中、原澤君とカップラーメンを食べ、反町隆史のPOISONを歌ったことは思い出の1つです。野球の技術向上のために筋トレを本格的に始めたものの、肩の可動域と自分の可能性が狭まっていく日々でした。

 3回生になると、徐々にベンチに入れたりしたのですが、ベンチでの自分の存在意義がなかなか見いだせず、自分のアイデンティティを見直す日々でした。結局最後の最後まで、チームになんの貢献もできないまま終わってしまいました。それでも最後まで続けてこられたのは、個性豊かで飽きない同期と、可愛い後輩達がいたからだと思います。楽しい野球ができた大学時代でした。



後輩へ

 良い奴ばかりで、とにかくとても良い奴が多いと思います。たくさんお世話になりました、ありがとう。哲学者のカール・ヒルティはかつてこう言いました、「人生の幸福は困難に出会うことが少ないとか全くないということにあるのではなく、むしろ、あらゆる困難と闘って輝かしい勝利を収めることにあるのだ。」と。そういうことらしいです。頑張ってください。みんなの幸福を心より祈っています。


同期へ

 仲良くしてくれてありがとう。楽しいことばかりではなかった準硬生活やったけど、みんなのおかげで、他の人とは違う少しだけエキサイティングで、スリリングで、エネルギッシュな大学生活が過ごせました。

 他の人とは頭のネジの数が違うけど、野球に真摯な竹下君、首が傾いてるけどそれ以外は真っ直ぐで、とにかく優しい野村君、メッシの次にサッカーが上手い鮫島君、声と体と態度がでかい葭安君、離乳食のせんべいみたいな体だけど、マウンドでは誰よりも頼りになる伊藤君、スマートでクレバーな眞鍋君、打席に立つと誰よりも頼りになる中野君、やる時はやる漢の永村君、頭に打球が当たりもう会えないかと思っていた西田君、攻撃的だが、いつもチームを盛り上げてくれる橋本君、主務として見事にチームを支えてくれた松田君、僕と苦楽を共にした戦友の原澤君、たまに尖っているけど、チームのことを想っている木下君、そして、キャプテンというしんどい立場から、その圧倒的カリスマ性で時に厳しく時に優しく、チームをまとめてくれた今村君。みんなのおかげで最高の大学時代を過ごせました。本当にありがとう。



両親へ

 これまで小中高大と野球を続けさせてくれてありがとう。高校の野球部時代には、毎日朝早くに起きておにぎり10個作ってくれたお母さん。愛情たっぷりのおにぎりのおかげで、こんなにもグラマラスな体が手に入りました。ありがとう。そして、高校時代に部員数が100名を超える野球部に入ったものの、1ヶ月で退部し、そこから卓球部に入ったお父さん。色々と忙しい中、試合を見に来てくれてありがとう。大した野球の知識もないのに、もっともらしく野球を語ってくれてありがとう。助けられたこともありました。

 こんな短い文では収まりきらないほどの2人の支えがあり、とても感謝しています。よくいる野球に熱心でスパルタな両親ではなく、いい意味で冷めていて、それが僕にはとても助かった点です。勉強でもスポーツでも僕がやりたいと言ったことをのびのびとやらせてくれてありがとう。そして、大学では野球をしている姿を全く見せれず、ごめんなさい。

これから2人から受けた恩を少しづつ返していこうと思います。僕がいつかイケおじになるその時まで、どうか元気でいてください。