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12日目は副将:木下立清(人健4/報徳学園)です✨



人生=野球


小学生

 自分の野球人生は、小1のソフトボールから始まった。理由は、兄がソフトのチームに入ってたから。その流れで自分もソフトを始めた。最初は、試合でミスしてお父さんに怒られるのが嫌で雨になれって願ってた。それぐらい、野球が嫌いやった。

 5年でソフトのチームが無くなって、自分が憧れてた先輩の軟式のチームに入った。距離とかリードに慣れんかったけど6年ぐらいで慣れて意味わからんぐらい活躍してた。走攻守全部完壁でチームを勝たせることが一番出来てた時代やった。その中でもバッティングが1番飛び抜けてた。バッティングは、その時から好きで毎日バットを振りすぎて、監督に振り過ぎんなって止められるぐらい毎日バットを振ってた。その甲斐もあって、ほぼ毎試合ホームランを打ってたし、柵越えも小学生ながら3本打った。そのうちの2本は、大会の決勝での2打席連続やった。

 そんな活躍もあって県大会で優勝して県の代表として台湾に行った。小学生から海外に遠征して野球できたのはいい経験やったと思う。この時は、自分に自信が満ち溢れてて、自分みたいな人間が甲子園でスターになるんやと思ってた。



中学校

 そんな自信を持って硬式のクラブチームである播磨ボーイズに入団した。ここで、初めての挫折を味わった。今までは、身体が小さくてもバッティングでは飛ばす方やった。でも、硬式では力で押し負けてあんまり飛ばんくなった。先輩は、大人みたいな身体で小学校の時とは全くの別世界で自分の力が通用せんかった。最初は、小学校の時の実績があって出してもらえてたけど、結果が出んくて伸び悩んでるうちに周りの同級生が伸び始めて自分が試合に出ることが少なくなった。

 それ以外でも上下関係で悩んだ。先輩がまじで怖かった。中学の同期やったらわかると思うけど、ほんまにエグかった。今となれば、笑い話になってるけど何回も理不尽な上下関係が理由で野球辞めよって言ってたよな笑。練習も週5で厳しくて金曜日の練習が終わった後の帰りは、土日の練習が嫌で「あと、12時間後には練習してるんか」とか言って絶望しながら帰ってたな笑。修学旅行の前日に怒られて40キロ走ったり、俺がやらかしたせいで全員が2時間くらい正座させられたりとかほんまにめちゃくちゃやった。こんな辛いことがあったから今でも仲良くしてるんやと思うで。これからも仲良く楽しんでこな!!

 話を戻して、最初らへんは全然活躍できんかったけど、自分の代になってぐらいから身体ができてきて活躍できるようになった。自分もチームの主力になってきた。タイガースカップの関西予選。結果は、甲子園まであと1勝届かんかった。なんなら、あと1アウトやった。中学生の自分には、受け止められんかった。グランドに立ってるだけで最後負けて、ただ自分の無力差を感じるだけやった。今でもあの時アウト1個とって甲子園でプレーしてたらなって考える時がある。正直他のチームよりも練習もしてたし、先輩とかのことでも苦しんだからなんで俺らが報われへんのかがわからんかった。だから野球の神様ってほんまはおらへんねんなって当時感じてた。

 この後も、色々大変なこと経験して同期で愚痴りながらも、乗り越えてて播磨ボーイズで最後までやり切った。めっちゃくちゃ濃い3年間やった。良い仲間に出会えた。自分の野球としての技術や考え方の土台を作ってくれたのは、この時で1番自分が成長できた時間やと思う。ほんまに監督やコーチには、感謝しかないです。

 そこから、中学でまぁまぁ活躍してた自分は、スポーツ推薦という形で報徳学園に入学した。小学校の時から憧れの先輩が入った東洋大姫路か、兵庫県で1番強い報徳に入りたかったからスポーツ推薦が来た時は、報徳のレギュラーになって甲子園に出たろってこのころは、張り切ってた。



高校

 報徳に入学して自分は、寮に入った。強豪あるあるの上下関係が寮でも続いてたから寮に帰ってきても安心する時間はなかった。洗濯物も1年生が最後で睡眠時間も短くて、練習のきつさとのダブルパンチで1年生の最初は精神的にも体力的にもしんどかった。

 自分は、1年生の時から試合に出してもらってて結果も出してたから、1年の秋の大会のメンバー候補まで残った。ここで調子に乗りすぎて続けてた自主練もあんまりやらんくなった。余裕が生まれてハングリー精神がなくなったんやと思う。そっから、急にスランプに入って全く結果が出んくなった。自信を持つことは、いいけど過信するのは良くない。継続することの重要性にやっと気付いた。今でもあの時過信せずにもっと努力してたらって思う時がある。

 コロナで先輩の夏が無くなって、新チームが始まった。バッティングが持ち味やったからそこだけは、誰にも負けんために心を入れ替えてバットはずっと振ってた。バッティングでは結果を出してたけど、守備が全然良くなかった。下級生が入ってきて台頭してきたことと守備が上手くないことが原因でメンバーに外れた。地区予選が終わった後に、スタメンと控えで紅白戦をした。そこで、スタメン組にサヨナラ負けをしたけど、自分はスタメンを追い詰めるぐらいバッティングでも守備でも活躍した。今度こそ、メンバーに入ったって思った。でも、あかんかった。それは、今までのプレーで指導者の信頼を積み重ねることができんかったからやと思う。自分の得意なことを伸ばすのは大事やけど、自分の弱いところを無くすことの方が大事やと思った。今、自分が幹部になってスタメンを決める時不安要素がある選手っていうのは、試合で使いにくいって感じる。特に一発勝負の高校野球ではそんな選手は使いにくい。今思えば、メンバーから外れたことに納得する。それに、自分の代わりに入った下級生は今では、東京六大学で1番打ってる選手やから余計に納得する。 

 そこからもメンバー入りそうになったりとか、色々あったけどその流れで最後の夏の大会もメンバーから外れた。割り切れんかった。それに、今までずっと応援してくれてた両親に申し訳ないっていう気持ちが1番大きかった。同級生が頑張ってんのに自分が腐って何もやらんくなるのは絶対に違うなって思った。ここで自分がやらんかったら両親や今まで自分のことを応援してくれる人達のことを裏切ることになるなって思った。だから、自分はチームが勝つために対戦校のデータ分析をずっとやってた。メンバーが練習終わった後でも1人で残ってやってた。自分がチームのためにできるのは、それぐらいしかないからこれは、絶対に最後までやり切ろうって決めた。チームは、良い勢いでベスト4まで残った。あと、2勝したら甲子園やった。また、中学の時と同じように甲子園に届かずに負けてもた。負けた瞬間試合に出てないのに号泣してもた。多分その時グランドに立ててなかった悔しさと高校野球が終わったっていう虚しさからやと思う。最後のミーティングで監督から最後までチームのためにデータ分析をしてくれてありがとうと言ってもらえた。チームのために行ってた行動が本当にチームに役立ってたんやって気づいてやり切ったと思えた。でも、プレイヤーとしては何もやり遂げれてないからずっと心の中でモヤモヤが残ってた。でも、なんか知らんけど本気で野球をやる気になれんかった。



大学

 自分が大学になって準硬に入部したのは、高校の副校長の教え子が丸山さんでそこのつながりから関大に行くんやったら準硬に入ったらと勧めてもらったから。野球は辞めてもよかったけど、高校でやり遂げれんかった悔しさとあんまり練習もしんどくないってことも相まって大学でも準硬に入って野球を続けることに決めた。

 入った当初は、正直自分より上手いやつなんかおらんやろって思って尖ってた。すみません。最初の関関戦でスタメンに選んでもらった。緊張したけどそこで2安打打てた。この試合から、スタメンで出させてもらえるようになった。下級生なのに試合に出さしていただいて2個上の幹部の方には、感謝しています。

 それだけじゃなく、濱田さん、加藤さん、川北さんの毎朝の自主練する姿を見て、野球に対する熱い気持ちっていうのを取り戻しました。あの時の先輩方の姿を見たから大学でも野球に向き合っていこうと思えました。本当にありがとうございました。この時2個上の先輩のために絶対に試合に勝とうという気持ちを持ち始めた。高校の時は、自分が試合に出るために野球をしていたけど、誰かのために野球をするのは初めてやった。でも同期は、あんまり2個上のことが好きじゃなくて自分は学年リーダーとして先輩のために勝ちたいっていう気持ちが強すぎてよく同期とぶつかっていたことが印象に残ってる。あの時は、自分の視野が狭かったからもっと違う伝え方ができたら良かったなって反省してる。でも、あの時からしっかりぶつかってたからここまでの関係性ができたと思ってる。ね、橋本君笑

 先輩のために勝つという気持ちを持ってからは、2次トーナメントで13打数8安打で立命戦でもホームランを打つこともできた。自分のためではなく、誰かのために頑張ることって自分の力以上のものを出せるんやってこの時感じた。あと、1回勝ったら清瀬杯に出れるってところで花園大学にサヨナラ負けした。また、全国の手前まで行ったのに負けた。それも、勝ててたはずの試合で。この瞬間に絶対に2個上の分まで来年は全日に行ったるっていう強い気持ちを持った。



福永準硬

 福永準硬になってからも学年リーダーを続けさせてもらって、打順でも4番を打たせてもらった。秋のリーグ戦は、打点が11点やって最終戦まで1位やった。でも、最終戦で抜かれて結局打点王が取れんかった。4番として打点ってチームの勝利に直結するからこのタイトルは取りたかったから悔しかった。その代わりにランニングホームランで今でもいじられるおまけのホームラン王をとった。一応同期の中で一番早いタイトルホルダーな笑。チームは、秋リーグの順位が4位やってこのままで全日にいけるか不安やったし、自分もこのままじゃチームを勝たせられへんって感じてた。自分は、高校の時から守備が下手で守備を改善しなあかんと思った。だから、冬の時期から藤澤さんに守備を鍛えてもらった。めっちゃくちゃ生意気な後輩やったけど、辛抱強く教えてくれた藤澤さんには、感謝してます。おかげで、それからエラーも全くせんようになったし刺殺の数も圧倒的に多くなった。チームも福永さんの圧倒的なリーダーシップのおかげで全員が試合に勝ちたいと思うようになって福永準硬が勝てる集団になった。ほんまに1個上の幹部は、すごかったんやなって今でも思う。

 それで迎えた春のリーグ戦で優勝することができた。今までにない興奮を味わえて、これまでの野球人生が報われた気がした。全員が優勝という1つの方向に向かって戦えるチームは強いってことがわかった。でも、自分は4番として全然チームの勝利に貢献できんかった。自分がチームを勝たすって決めてたのにみんなに助けられたリーグ戦やった。絶対に関西選手権で自分がチームを勝たせて福永さんを胴上げしたるって心の中で思ってた。

 それで迎えた関西選手権初戦も準決勝も勝って全日の出場を決めた。これで1年越しに2個上の代の雪辱を晴らせて、やっと恩返しができた瞬間やった。自分もチームの勝利に貢献できた。あとは、優勝して福永さんを胴上げするだけやった。結果は、準優勝やった。自分がチャンスで打てんかった。ここ1番で試合を決められる選手になりたいと思った。幸いなことに全日の出場は、決まってたから絶対に全日でリベンジしたるって心に決めて全日まで練習をしてた。

 それで、迎えた全日初戦先制のタイムリーとタイブレークでサヨナラヒットを打った。やっと4番としてチームの勝利に貢献できた瞬間やと思った。打った瞬間は、嬉しいっていうよりもまだ先輩たちと野球ができるっていう安心感の方が強かった。2回戦は、名城大学やった。結果は、1点差で負けてもた。正直ここで負けるとは思ってなかった。絶対にもっと上まで上がれるチームやと思った。もっと先輩達と野球したかったな。それぐらい先輩らとの時間が好きやった。こんな生意気な自分をずっと信じて4番で使ってくれてありがとうございました。福永さんに関しては、名城戦の試合中の喧嘩も今となればいい思い出です。笑



今村準硬

 今村が主将になって、自分は副将に選んでもらった。今まで先輩に頼ってばっかりやったから正直このチームでやっていけるんか不安やった。自分もそこまでリーダーシップがあるわけじゃないし、尊敬されるような先輩でもなかったからどうやってチームを引っ張っていけばいいかがわからんかった。幹部がこんな感じやったからリーグ戦も勝てんくて4位やった。自分は、幹部としてもあかんかっただけじゃなく、選手として結果でもチームを引っ張ることができんかった。リーグ戦の途中からは、4番を下されて下位の打順で打つようになってた。自分がチームを引っ張って行かなあかんのに、逆にチームの足を引っ張っててほんまに情けなかった。だから、リーグ戦が終わってからは、チームを変えようとする前にまず自分が変わらなあかんなって思った。幹部としても選手としても自分はチームを引っ張る存在にならなあかんと思った。そこからは、幹部でどうしていくかを本気で話し合った。全然答えが見つからんかったからこの時期はほんまに苦しかった。そんな時下級生の学年リーダーが助けてくれた。生意気なやつもおったけど、「自分たちは先輩についていきます」って言ってくれて自分達に力を貸してくれた。ほんまにありがとう。

 学年リーダーの助けもあって冬の合宿くらいで段々とチームが1つになりだした。正直自分としても手応えを感じてて、絶対にリーグ戦で優勝できるって思った。でも、そんなに現実は甘くなかった。また、4位やった。勝ちきれる試合で勝ちきれへんっていう弱さがあったと思う。初めて打率10傑っていうタイトル取れたけど、まだチームを勝たせれるバッティングはできてなかった。

 それで迎えた1次トーナメント勝って全日に行きたかった。やけど、人健にサヨナラ負けした。負けた瞬間何が起きたかわからんかった。そこから時間が経つに連れて自分の野球人生が終わったことへの実感が湧いてきた。まだ、みんなと野球がしたかった。それが全てやった。



後輩へ

 今まで自分の代に不満もあったと思うけど最後までついてきてくれてありがとう。下級生の助けがあったからここまでやってこれたと思う。特に学年リーダーの存在が大きかった。学年リーダーが中心となって下級生を巻き込んでくれたから最後はいいチームになれたと思う。幹部ミーティングでも厳しいことをいっぱい言ったけどそれでも折れずに俺ら幹部を支えてくれてありがとう。これからも学年リーダがチームの中心になっていくと思うからこれからも引っ張っていってな。

 次の幹部に言いたいのは、佐竹を中心に周りに妥協せず自分たちの色のチームを作るってこと。自分は、リーダーシップがあるわけでもないし、尊敬される先輩でもないからあんまり良い副将ではなかったけど、準硬のみんなのことが好きっていうことは誰にも負けんかった。人って好きなことに対してとことん突き詰めれるからまずは、チームを存分に愛することが大事やと思う。自分の代は、下級生には良い経験っていうのをさせてあげれなかったからそこだけは、心残り。でも、自分の代の悔しさっていうのを踏み台にして全日に行ってくれたら自分たちも報われるからでこの想いっていうのを背負って頑張ってほしいな。

同期へ

 同期のみんなで全日行きたかったな。同期でしょうもないことで言い合いしたり、アホみたいなことして笑ったりする時間が大好きやった。同期のことが好きで会いたすぎて毎週土曜日になるのが楽しみやった。ほんまこれからどないしよ笑。自分ってほんまに周りからしたら難しかったと思う。ごめんな。でも、それもやっぱりみんなのことが好きやからこそ、チームに対して本気で向き合ってたからやと思う。そこは、わかってほしい。辞めっていった同期がおったり、先輩と喧嘩したりした問題が多かった学年やったけどそんなみんなに出会えて一緒に野球ができて幸せでした。ありがとう!また、飲んで思い出でも語り合いましょう。



幹部へ

 最初は、主張が激しい副将と逆に全然主張しない主将やって、幹部の中でまとまりがなかったと思う。でも、秋リーグ負けてほんまにこのままやったらあかんって気付いてからは、今村が主将として先頭に立ってチームを引っ張ってくれた。その時ぐらいから幹部の中でも何か決める時に今村が言うんやったら俺らもそれについていこっていう雰囲気が流れだして幹部の中で結束感が出てきたと思う。これって当たり前のように思えるけど、意外と難しいんよな。

 今村が人健戦で同点のタイムリーを打った時にやっぱり今村を主将にして良かった、信じて良かったって思った。まじでかっこよかったぞ。

 松田は、主務としてチームの事務的なことをしてくれたことにはもちろん感謝やけど、それだけじゃなくて自分のチームに対しての考えが間違ってないかの相談役やった。松田がおったから自分もここまでブレずにやってこれたと思う。ありがとう。

 福岡は、自分らは会計面でいっぱい迷惑をかけてたのに文句も言わずにやってくれてありがとう。一緒にライトで笑いながらアホな話してほんまに楽しかった。

 最後は、橋本な。正直1番ぶつかって1番話し合った。それは、お互いに本気になってチームのこと考えたからやと思う。橋本は、めっちゃ影響力があるから行動することでチームが変わるから正直めっちゃ羨ましかった。こんなやつになりたいって。橋本が副将でおったからここまでやってこれた。ほんまにありがとう。

 このメンバーで幹部としてチームを引っ張っていけたことは、自分の一生の財産です。感謝!!



両親へ

 小1からずっと自分の1番の味方でおってくれて野球を辞めたい時と挫折した時もあったけど、両親の支えがあったからここまでやってこれました。野球では、期待されてたような結果は残せんかったし、最後全日につれていけんくてすみません。最後に、今までの応援してもらってたぶん期待に応えたかった。でも。両親がここまで野球を続けさしてくれたから大好きな仲間に出会えました。本当にありがとう。いつも、親に文句ばっかり言ってて何も自慢できひん息子やけどこれからはいっぱい支えてもらった分親孝行したいなって思ったりしてるんで待っててください。



めっちゃくちゃ長い文になってもたけど、それぐらい野球が好きやったし、出会えた仲間が大好きでした。本当にみんなありがとう。