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全日カウントダウン企画2人目は、多才さと思想の強さナンバーワン、大下朋也(外語4/柳井)です!
野球史
まず、6月に一足早く第一線を退いたにも関わらず、私に一部員として紙幅を割いてくれたことに感謝します。以下、私の野球人生とチームへの想いを綴らせていただきたいと思います。
元々箱根駅伝出場を夢見ていた私ですが、父の影響で小学2年生のときに野球を始めました。野球選手としての私を形作ったのは、間違いなく父からの厳しさ一辺倒とも言える熱心な指導です。そのおかげで6年生ではキャプテンを務めさせていただき、広島県大会優勝という目標を達成することができました。
中学校ではサッカー部に所属する傍ら、クラブチームの松永ヤンキースに入団しました。出る杭のような中学時代の私にここでもキャプテンを任せてくれた周りには頭が上がりません。広島県大会決勝では、サヨナラ勝ちの瞬間に私が1塁からホームに逆走したことで一時は優勝が取り消されかけました。クラブチームの全国大会では、決勝の試合開始前に訳あって1時間正座させられるという事態が発生しながらも準優勝することができたのは良い思い出です。
高校は父の母校である柳井高校で野球をするために親元を離れました。幸先よく1年から試合に出させてもらいましたが、2年目を迎えたあたりに体調を崩し、その後は思い通りにいかないことばかりでした。退部が何度も頭をよぎりましたが、最後まで試合に出続けることができたのは支えてくれたチームメイトや先生方、そして毎週のように駆けつけてくれた両親のおかげです。今となっては始発から終電の時間まで続く練習を何度も乗り越えたことや、毎日のように吐きながらも2リットルの水を飲んで体重を偽装し続けたことは良い経験でした。
大学では野球から離れ、ボルダリングとポケモンに打ち込もうと思っていましたが、入学後数週間で野球に揺り戻るように準硬式野球部に入部しました。1年生のときのことは秋リーグでベンチ入りしたことと平田君と共に練習をサボり、公園でハンバーガー片手にプロスピをしたことしか覚えていません。2年次はイギリスに留学し、1年間休部しました。復帰後はベンチにすら入れないため腐り切ってしまい、バットの代わりにスティックバルーンを握りしめる日々の連続でしたが、自分たちの代になってからは何とかモチベーションを取り戻し、秋リーグ開幕をスタメンで迎えることができました。途中からは代走枠として控えに甘んじることとなりますが、その後の春リーグ優勝や関西選手権準優勝を経験できたのは最高の思い出です。そして関西選手権終了後、不本意なタイミングではありましたが、個人的な理由から一足先に第一線を退くことを申し出ました。私のわがままを受け入れてくれたスタッフの方々や部員全員には感謝しています。
チームへの想い
ここまで私の野球人生を振り返らせていただきましたが、個性豊かでまさにチームテーマである「虹色」のような関大準硬への思い入れは格別です。幾つもの迷惑をかけたことに関しては申し訳ない気持ちでいっぱいですが、全日では、今までの償いと感謝の気持ちを込めてスタンドから応援し、後輩の活躍する姿、そして同期の最後の勇姿を見届けたいと思います!


