いつもご声援ありがとうございます。
全日カウントダウン企画6人目は、関六の連盟委員長を務めあげた岐部大凱(社4/清教学園)です!
サボマリン
拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
小学時代
僕は、周りのみんなよりも少し遅い小学校4年生の終わり頃に、ソフトボールを始めました。この頃は毎日のように近くの公園に集まっては、プニプニのボールで野球をしていたことを思い出します。野球人生で一番楽しんで野球をしていたと思います。小学6年生の夏頃に中学受験をすることを決め、それからはあまり練習に行くことができなかったけれど、試合で使ってもらい感謝しています。
中学時代
野球が毎日できる環境に魅力を感じ中学受験をしたものの、入学後は燃え尽き症候群により練習に行かなくなります。行かなくなったというよりも、課題提出ができていなかったため行けなかったのです。それでも毎日野球バックに重い練習道具を詰めては、登山とも言われる通学路を登っていたこと、今では馬鹿馬鹿しく感じます。下半身のトレーニングにはなっていたかも知れません。
また夏休みには、皆んながグラウンドで練習をしている中、僕はグラウンドに机を出し顧問の先生と共に青空教室を開き課題をしていたなど、ほぼ野球をしていませんでした。
なんとか3年になった頃に定期的に練習に行くようなり、最後の夏の大会では背番号6をもらい試合に出れたことが中学時代一番の思い出です。
高校時代
中高一貫校だったため、そのまま高校に入学しました。入部届には第一希望内野手、第二希望投手と書いたのですが、早々にお前はバッティング練習せんでええと言われ(体重が45キロで打球が飛ばなかったため)、内野手としての道は閉ざされました。その後投手としてしか道が残されていない中で、僕が取り組んだのがアンダースローだったのです。アンダースローを始めてからは物珍しさもあり、よく試合で使ってもらえるようになりました。しかしです、準硬式部員はわかるように僕のサボりが発症してしまったのです。任意という名の強制の朝練をサボり続け、毎回公式戦のメンバー選考に落ち続けました。なんとか3年になってからは公式戦にも出ることができ、強豪校相手に投げることができたのはいい思い出です。
大学時代
高校で本気でやる野球はもうおしまいでいいと考えていた僕は、大学に入学してからは準硬に入部せず、サークルで野球をしていました。ですが夏頃に、本気でぶつかる野球をもう一度したいと思うようになったことや、高校時代の先輩の誘いや同期(白藤)がいたことから、準硬に入部しました。入部後すぐにリーグ戦に出て活躍することができた僕は、ここでもサボりを発症してしまいます。サボり出してからは成績もどんどん落ちていく一方で、野球の神様ってほんまにおるんやなぁって感じました。1年秋には10試合ベンチ入りしていたのに、3年春には0試合という不甲斐ない結果とは裏腹に、チームは万年4位から優勝という結果を見て、ほんとに情けない気持ちでいっぱいでした。
チームへの想い
サボってばっかりの僕と仲良くしてくれてありがとう。練習にたまに行った時には、今日岐部おるやんとかいじってもらえることが救いでした。本当に同期がこのメンバーで良かったと思っています。たまによくわからんことするけど、しっかり者のそうちゃん(入江)。練習に行った時にはいちばんに話しかけてくれる大下。準硬の社畜コンビとして主務を頑張ってくれた柿沼。数少ない投手として一緒に練習してくれた拓真(加藤)。前日に車のしてもらう約束を何回も破って迷惑かけた小松。ラスト一年はバー外ズとして奇声を発しながらも一緒に応援した高塚。真面目かと思ってたけど最近真面目じゃないことがわかってきた坂木。高校から一緒やったけど大学生なってから話すようになった白藤。いつも冷静にチームをまとめてくれた日高。おーいどこ行ったんやぁ平田。練習終わりにはよくラーメンを食べたドメ(福留)。いつも真面目にやったら抑えれるのにと鼓舞してくれた藤澤。僕がマウンドに立つ時にはサードから声掛けしてくれた大ちゃん(古田)。ベンチにいる時はなんやかんやで隣にいることが多い水島。そしてキャプテンとして、キャッチャーとしていつもお世話してくれた福永。ほんとに仲間に恵まれたと感じています。
今までサボってて何言うてんねんと思われるかも知れないけど、このメンバーで日本一になりたいと思ってます。もしマウンドに立つことがあれば全力で腕振り続けるし、投げない時は必死で応援するので、みんなで日本一なりましょう。





