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全日カウントダウン企画7人目は、ポーカーフェイスゆえにボケに気付いてもらえない古田大輔(情4/三田学園)です!




 ​山と、谷ばかりの野球人生


私の将来の夢はサッカー選手から始まりました。幼少期から父とサッカーと野球でよく遊んでおり、私が小学1年で習い始めたのはサッカーでした。しかし、ここで早くも問題が発生しました。臆病だった私は、サッカーにおいて人からボールを奪い取ることや、パスを呼ぶことができませんでした。さらにはボールを持ってもびびってすぐにパスを出し、責任逃れかシュートを打ちませんでした。自分でもなぜ小学校入学時にサッカーを選択したのか当時の自分が理解できません。1年間サッカーをして、これはまずいと思ったのか親から野球への強制転向を強いられました。そうして野球を始めました。


小学2年から始めた野球。ピッチャーとサードをしていました。もう1人いいピッチャーがいたため、かっこよく言えば、2枚看板の1人が自分でした。小学校のときは、大学野球の次に野球が楽しかった期間で記憶も鮮明に残っています。なんせ、強かったです。個人のレベルは他のチームに劣ってもなぜか勝てていた、そんな感覚でした。自分の代では優勝する度に創部初の快挙、快挙、快挙で気持ちよくなってました。私は、ピッチャーとしてもチームに貢献していましたが、自信を持って言えるほどコントロールが良かったです。小学生でフォアボールを出した記憶がほとんどありません。あれほど打者のアウトローに投げ続けられたのは一種の才能であった気がします。




中学に上がる時に、三田ヤングという硬式のクラブチームに入りました。ここで陰キャを発動してしまいました。体験練習のときに、三田ヤングのピッチャー陣が、体が大きく、とても速いボールを投げていました。臆病な私はそれを見て、ポジションを聞かれた際、自分がピッチャーだと言えませんでした。コントロールには絶対の自信がありましたが、球速にはそれほど自信がありませんでした。サードと答えました。その後もピッチャーをしたいといえなかった私はこの瞬間を持ち、ピッチャー人生が幕を閉じました。この中学でピッチャーをやめてしまったことは、今でも人生最大の後悔です。もしやり直せるならピッチャーとしての野球人生も送ってみたいです。そんなこともあり、中学野球の記憶はほぼありません。親に会費を払ってもらい、永遠に3塁ランナーコーチをしていました。


高校は三田学園高校に入学しました。もちろん野球部に入り、毎日嫌やなと思いながら練習に行っていました。入部してすぐの夏におそらく創部初のグラウンド周りの溝掃除2周をしました。原因は学校内でスマホを触っていたのがバレたことです。いい子ちゃん学校のため、スマホがバレただけで犯罪者のような扱いを受けました。高校時代は、3年になってようやく試合に出れるようになりました。3年秋は試合に出てましたが、春なら夏にかけては、スタメンで出ることはほぼなかったです。そして、迎えた高校最後の大会。その1回戦の日。コロナの影響で大会と英検の日程がずれた結果、日にちが被ってしまい、私はどうしても英検2級が必要だったため、1回戦はさすがに勝つやろと思って英検に行きました。しかし、今でもチームメイトの坂木君、日高君を擁するチームは、なぜか部員20人に満たない学校に負けたのです。今となってはいい話のネタです。私は英検に向かう途中の電車で引退しました。これにて高校野球は幕を閉じました。


私は高校時代の部長が関大準硬のOBで準硬式野球があることを知りました。私が大学でも野球を続けようと思った理由は、野球が下手だったからです。高校時代、自分は人よりも練習してました。部活から帰っても毎日家でバットを振りました。けれども、バッティングはまったく上達せず、なんなら全然練習しないやつが試合で打ちまくってて野球は理不尽なスポーツだなと思ってました。引退後、こんな実力のまま野球を辞めるのは嫌だなと思ってました。小学生以来、野球でいい結果が残せていなかったので、大学では結果を残すために部活に入ろうと思いました。


大学では1回生を除いて、人生で1番野球と向き合ったと思います。本格的に野球に打ち込み始めたのは、2回生の秋リーグのときです。このときから少しずつリーグ戦に出させてもらえるようになりました。しかし、当然のように思うような結果は出ませんでした。そんなとき先輩から朝練の誘いを受けて、練習前に自主練をする習慣が始まりました。先輩を差し置いて試合に出るなら人一倍練習しなあかんと思ってました。さすがに真面目すぎたと思います。朝弱い私がこの朝練を今までずっと続けてこれているのは自分でもビックリです。

私は2回生の秋リーグ、3回生の春リーグと何度かスタメンで出させてもらいましたが、当時の幹部からはお前がリーグ戦なったら打たへんくなるからややこしい事なるって何度も言われました。結果はその文字通りでした。


自分たちの代になり、それまでずっと4位だったリーグ戦で本気で優勝したいと思っていました。しかし秋リーグの結果は4位。このリーグ戦では守備でもバッティングでも足を引っ張り、朝練も何度も辞めてやろうかと思いましたが、いっしょに頑張ってくれていた藤澤君とたまに来る福留君、朝練から力を貸してくれるマネージャーのすみれちゃんがいてくれたおかげでここまで頑張ってこれたと思います。



最後のリーグ戦を迎えるにあたり、私は優勝したいよりも、このチームなら優勝できると思ってました。秋リーグとは違う自信がありました。現2回生のクソガキというワードをまさに体現している佐竹君が「先輩、10戦全勝する気ないやつこのチームにいらないっすよ」と何度も言われ、全勝優勝するつもりで挑みました。

その結果、春リーグ優勝を成し遂げることができました。

春リーグの関学戦で打った一打は今までの練習が意味のあるものだったと感じられる一打でした。私は野球人生において、試合の大事な場面で打てたことがありませんでした。人生で初めての印象に残る打席でした。自分はスタンドで応援してくれている選手の分まで戦うというめちゃくちゃ強い気持ちがあったため、結果を残せて本当に良かったです。




チームへの想い


私は最高学年でありながら、チームをまとめることに一切関わらず、同期や後輩たちと仲良くのびのび野球をさせてもらえていることにとても感謝しています。このチームをまとめてくれているキャプテンの福永には感謝感謝です。周りを巻き込む力があり、チームを奮い立たせれる最高のキャプテンです。学年ごとに違った個性があり、チームをまとめることに苦労していた時期を近くで見てきたし、部活以外の時間もチームのことをたくさん考えてくれていたことを知っていたので、キャプテンを胴上げできた瞬間は最高でした。副キャプテンの藤澤と日高はプレーでもそれ以外でもチームを引っ張ってくれていることにとても感謝しています。そして主務の柿沼。本当は主務のような役職が得意ではないのに、誰も候補がいなかったため、仕事を引き受けてくれてありがとう。心も体もボロボロになりながらも、限られた時間の中でチームのために尽くしてくれたこととても感謝しているし、柿沼の仕事なしでは今この結果はなかったと思います。そしてマネージャーのすみれちゃん。1人で42人の選手を支えてきてくれた1年間は他の人には務まらなかったと思うし、とても感謝しています。同期のみんなは良い人ばかりだとつくづく思います。身内ネタ多いけど、ずっと笑ってられるし、同期のおかげで楽しく部活を続けてこられました。本当に自分はこの代で野球ができて良かったです。後輩たちも、おもろいやつばっかりで、個性的な人も多く、みんなといっしょに野球ができて良かったです。全国大会では、このチームメイトと一日でも長く、一緒にいたいので全員で1試合1試合勝ち進みましょう!