いつもご声援ありがとうございます。


全日カウントダウン企画8人目は、同期すらも理解できない独自のワールドを持つ入江早亮(安全4/明治学園)です!




 生涯ゴムボール人生


日頃より関大準硬を応援してくださりありがとうございます。

全日カウントダウンも折り返し地点に差しかかってきたこの頃となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

本日は私入江早亮より野球史とチームへの想いをしたためさせていただきます。



私の野球人生は小学4年生に同級生からの誘いで始まりました。親の影響で実家ではホークス戦の中継をよく流れていた記憶があり、漠然とした野球が好きだという気持ちが芽生えたような気がします。当時は川崎宗則選手や本多雄一選手に憧れ、内野手として野球人生をスタートさせました。記念すべき初出場の試合後に多くの部員が突如として消える反乱を起こし、一時はチームが8人とチーム解散の危機までに陥りました。その後は試合ができるものの公式戦はほぼ負けばかりで、海が近いグラウンドに漂う潮風に黄昏てる日々を送りました。その頃の私は視力が悪かったのにも関わらずカッコ悪いという理由で眼鏡をかけないという愚行を行い、当然ながらマグレでしか打つことができずパチンコ並みの賭けバッティングをしていた小学校時代でした。


中学校では軟式野球部に所属し、数々の失態をやらかしてしまいます。まずは2年夏の地区大会の決勝での出来事でした。当時から練習だけは真面目に来ていた私は実戦でほぼ守ったことないサードで途中出場させられ、幾度となくハーフバウンドの暴投を放りまくり、チームを敗北に導きました。マウンド上の一つ上の投手からものすごい形相で睨まれ、この日ほど早く帰りたいと思う日はありませんでした。もう一つは新チームの投手不足の危機を救うべく、投手と内野手の二刀流に挑戦した時のことでした。当時の監督よりそんな投げ方では肘が壊れるという理由でサイドスローを始め、今の投げ方は間違いなく当時の血と汗が染み込んだ努力の結晶です。オープン戦では4回17失点というとんだ失態を犯しますが、その後の公式戦では5回1失点と大躍進を遂げます。しかし気づけばアンダースローなど投げ方迷子になったことで成績は悪化の一途をたどり、始めて半年で二刀流で活躍する夢はあっけなく潰えることになりました。将来投手は絶対しないと一大決心をすることになった時期でもありました。



高校は中高一貫校に通っていたため、中学のメンバーとほぼ変わらず先輩・同期・後輩と仲良くのびのびと野球をやってました。しかし、硬式野球部はなかったため全国的にも数少ない高校軟式野球で聖地明石を目指すことになります。ただ3年間で九州大会準優勝・県優勝、自分たちの代でも県準優勝を経験させていただき、かつてないほど充実した時期でした。中でも1年秋に1桁背番号をもらったことで周りを驚かせたのを筆頭に、2年秋以降は副主将として練習メニュー決めの権限を委任されたのと同時に不動のリードオフマンとして公式戦ほぼ毎試合ヒットを積み重ねることができ、野球人生の絶頂期でもありました。最後の夏はキャプテンが開幕試合の先攻を引いてくれたおかげで始球式の打席に立つことができ、可愛い他校のマネージャーの投じた球を全力で当てにいったことが何よりの思い出です。また冬の真夜中に足がつり家族みなを叫び起こしてしまうエンドレス走と文化祭準備で他部活を怒らせ同期で謝罪に行ったことも忘れられない思い出です。




大学では一転、高校野球の傍ら取り組んでいた防災を極めたいという思いのもと入学したはずでした。しかし、高校まで軟式野球一筋しかやってこなかったことで軟式以外のカテゴリーの野球に挑戦したいという確固たる思いに負け、さらに高校で得てしまった野球で勝つことの魅力や高校で果たせなかった全国の景色を見たいという思いに惹かれるように準硬式野球部に入部することになりました。しかし、関スポの準硬優勝特集を見て気づいたのですが、準硬って軟式野球の括りになってるので僕は事実上14年間軟式野球をしていたようです。それはさておき、高校時代のメンタルのまま入部した私は大学準硬のレベルに鼻をポッキリおられます。入部当初はまるで歯が立たず、そもそもボールとバットは重たくなるわ、一浪して高校時代の輝きは失われるわでほんとにこれまで野球してきたか疑うほど実力のなさに絶望しました。ボールとバットの順応で1年ぐらい費やし、2年は同期と共に行った摂津峡で溺れ生死を彷徨いかけるなど時間だけが過ぎてしまいました。3年では新チーム最初のヒットがシーズンオフ前最終戦となかなか上手くいかず、シーズンが明けてもそれは変わることはありませんでした。さらに日々の某ゼミ活動が頭を悩ませ、合宿先でも教授とのZoom会議をこなすなどキャパオーバーの日々を過ごしました。そんな日々でも「雨垂れ石を穿つ」という精神のもとでできる限りの努力は重ねてきました。ただ持ち前の圧倒的打撃力でチームを牽引したいという自分が思い描いた理想像を実現するには遠く至らず、結果的には3年間を通じて公式戦ベンチ入り0と、毎試合スタンドに駆けつけるだけになってしまいました。ただ腐らずここまでの練習を重ねてこれたのは間違いなくチームの皆の存在があったからこそでした。そして最後のリーグ戦・関西選手権で有言実行する皆の姿は何よりも頼もしく勇気をもらいました。自分としても目に見える形でチームに貢献したいという気持ちで駆け抜けました。その甲斐あってか全日選考前最後の試合では自分の持ち味を存分に発揮する事ができ、皆の前で褒められた時は準硬続けてきてよかったと想う1番の瞬間でした。








チームへの想い


まずはこのチームで野球をやれたことに感謝しています。口下手で頼りになる先輩どうかは定かではありませんが、優しい後輩たちに恵まれたと思います。これからも己が描きたい道を突き進んで欲しいです。

同期の皆へ。皆と同期でいれて、本当に最高の仲間たちです。見切り発車でボケてもつっこんでくれたり、摂津峡で溺れても助けてくれたり、意味不明なことしても許されたり・・・。思い起こせばキリがありません。何よりも皆の個性が強く、良い人ばかりの同期が大好きです。万年4位のチームがリーグ優勝し全日の舞台まで駆け上がれたのは必ず全日に行くという強い意志をチーム内に醸成させてきた幹部のおかげで、頭が上がらない思いでいっぱいです。特に福永のミーティングでのメンバー外への声掛けはメンバーに入れなかった自分にとって最後まで諦めずにやりきれる大きな要因だったし、選考前に最後のもがきを皆に見せられたのはああいった声掛けなしにはなかったと言いきれます。同期の皆と試合に出ることを夢見て練習をしてきましたが、プレー面で何にも貢献できず申し訳ない気持ちでいっぱいです。ただ福永準硬での日本一という最終目標に向けてこれまで変わらず必死に応援するんで、絶対このメンバーで頂の景色を見に行きましょう!!