いつもご声援ありがとうございます。


全日開幕まで残り5日となりました。

ラスト5日間は、1年間チームの運営を担った学生幹部のブログを投稿いたします!


11人目は、部員を愛し部員に愛された女、チームの裏番長である白藤すみれ(政策4/清教学園)です。


※紹介文担当 : 小松




 ​天職


いつもご声援ありがとうございます。


最上級生として最後に何か遺したいという気持ちで考案した今回の企画ですが、お楽しみいただけていますでしょうか。私自身も同期の知られざる過去や本音に触れ、改めて彼らの魅力に気づかされています。

さて、本日は僭越ながらマネージャーという立場で野球史を投稿させていただきます。少々長くなりますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。


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高校から始めた野球部のマネージャーも今年で7年目。決して順風満帆な野球人生とは言えませんでした。

ラスト1年間を除いては。


そもそも高校で野球部のマネージャーになると決心したのは、甲子園を目指せる道がそれしかないから、という完全に自己都合な理由からでした。

甲子園への熱意は人一倍だったものの、新しい環境に馴染むのが下手な私は、無愛想で影が薄いというマネージャーにはあるまじき欠陥をついに克服することができませんでした。俗に言う陰キャというやつを極めていました。

3年間平凡に過ごした挙句、コロナ禍で最後の夏の甲子園大会は中止となりました。甲子園を目指すことすら許されない状況に長年の夢は呆気なく散り、残ったのはやり場のない悔しさだけでした。


野球への未練がなかったと言えば嘘になりますが、大学では人一倍勉強をしなければならないと思っていたため、マネージャーを続ける気はあまりありませんでした。

しかし、大学受験に失敗したことで行くつもりの全くなかった関西大学へ進学することになり、これも何かの縁だと思い準硬式野球部への入部を決めました。


入部当初から、先輩方にとってはかなり生意気な後輩だったと思います。何事も一番にならないと気が済まないという厄介な性格が、マネージャー活動においても存分に発揮されてしまったからです。下級生の段階から自分の能力を認めてもらいたくて、勝手なことばかりしていました。

後輩としての2年間はあっという間に過ぎ、結局リーグ戦では4位しか経験したことがないまま自分の代を迎えました。


入部以来同期も後輩もおらず、気づけばマネージャーはチームで私一人になっていました。


当時43名いた選手に一人で対峙することにはもちろんプレッシャーを感じました。しかし不思議なことに、窮地に立たされるほどやる気は際限なく漲ってくるものです。

新チーム始動と同時に、「関西一のマネージャー」が私の目標になりました。


突然ですがここで、「紅一点マネージャーあるある」をいくつか紹介させてください。


①朝4時に起きてグラウンドへ行き、一番最後に帰る

→本来練習時間は4時間なのに、半日が余裕で犠牲になります。

②バッティング練習ではマシンが相棒

→マシン入れが大好きな数名の変わり者たちが虎視眈々とその座を狙ってきます。

③紅白戦でスコア+SBO+アナウンスを1人でこなせるようになる

→この領域に達すると関大準硬では「神」の称号が与えられます。

④お姫様のような扱いは受けられない。

→当然です。学年関係なく誰も遠慮してくれなくなります。雑な扱いも愛のうちということでしょうか。


挙げ始めたらキリがないのでこのくらいにしておきます。


このような環境に身を置いたことで、私自身とても成長できたと思っています。一番大きな変化は、かつてのような無愛想で冷酷なマネージャーではなくなったことです。

今では、学年関係なく誰にでも自ら絡みに行くようになりました。みんな優しいので嫌な顔せず話してくれます。ありがとう。

その甲斐もあり、少しずつですが全員のコンディションやプレーの傾向を把握できるようになりました。ついでにプライベートの情報も結構知り尽くしています。


毎日倒れそうになりながら乗り切った夏、

長くて苦しかった秋リーグ、

思い出いっぱいの合宿、、、

ラストイヤーは怒涛の勢いで過ぎ、春リーグを迎えました。

春リーグの10試合を通して印象に残っているのは、試合の度にルーティンが増えていったことです。金属バットなど試合で使う道具はピカピカに磨き上げなければ気が済まず、おまもりは肌身離さず持ち歩き、ついには誰かさんに影響されて試合直前にプリンを食べ始めてしまいました。それで勝つと途中でやめられなくなるのです。

春リーグはチーム全体で「一喜一憂しない」ことを徹底事項にしていたにもかかわらず、勝っては泣き負けても泣いてチームメイトを困らせていました。

その一方で、ひとつひとつ勝ちを重ねていき優勝が見えてくると、「勝ちたい」ではなく「負けられない」という気持ちに変わっていくのが不思議で、それと同時にそんな贅沢ことで悩める幸せを感じたのを覚えています。

忘れもしない最終戦、試合終了と同時にベンチから選手たちが飛び出しマウンドに集まる姿をカメラに収めながら、私はこの瞬間のためにマネージャーをしてきたんだと確信しました。間違いなく人生最高の日でした。




その後の関西選手権への出場は私の憧れの一つでした。昨年の関西選手権は決勝戦を観客としてスタンドから観ていました。まさか1年後自分が同じ舞台に立つことができるとは想像もしておらず、くら寿司スタジアムのベンチで一人鳥肌を立てていました。

惜しくも関西一のマネージャーにはなれず、閉会式の最中に悔しくて涙が出ました。これはバレていなかったはずです。


全日出場が決まり、今では無事後輩マネージャーにも恵まれました。あとは自分自身残された野球人生を思いきり楽しむだけです。

7年間を振り返ると、マネージャーは必要なのか、何のための存在なのか、と自問自答し続けていた自分がいました。直接チームの勝利に貢献できないのなら、普段の活動はただの自己満足ではないのかと本気で悩んだ時期もありました。納得のいく答えは未だ見つかっていませんし、今後見つかる兆しもありません。

しかし、最後の大会が迫った今、一つだけ言えるのは、私がやってきたことは決して間違っていなかったということです。「お前はマネージャーに向いていない」という貴重なお言葉をいただいたこともありましたが、今なら自信をもって否定できます。

そのくらい私を大きく成長させてくれたマネージャーとしての経験を、今後もずっと忘れないでいたいと思います。



チームへの想い


1年前、新幹部挨拶のときに私は、「マネージャー不足を感じさせないくらい働きます」と宣言しました。もちろん誰も覚えていないでしょう。

その目標を達成できたかと問われれば答えはノーに近いです。それどころか、私がみんなに救われてばかりでした。

可愛い後輩たちとは毎日しょーもない話ばっかりして、時には真剣な相談もしてくれて、少し甘やかしすぎた気はしますが、みんなが頼ってくれるのが私の原動力でした。

後輩マネージャーは3人とも勉強熱心で、数ヶ月前に入部したにもかかわらずもう安心してチームを任せられます。いつも放任してばっかりの先輩でごめんね。

同期ばかりの一塁ベンチは毎日めちゃくちゃ楽しかったです。誰とでも何でも話せて、何をしても受け入れてくれて、いつも助けてくれる。練習が終わっても誰も帰ろうとせず毎回おしゃべりが止まらない同期が大好きです。この学年だからこそ、などと通り一遍の言葉を使うつもりはありませんでしたが、本当にこの一言に尽きるなと身に染みて感じる日々です。


現チームの「虹色」というチームテーマが実現し、その言葉がもはや自己紹介と化している気がするのは私だけでしょうか。

良い意味で最上級生らしくない心の広い4回生と、パワフルで個性豊かな下級生。1回生もたくさん入ってくれてより賑やかになった今の関大準硬は最強です。


試合の勝敗を決めるのは技術だけではないことは、この春で誰もが実感したでしょう。

7年ぶりに全国の舞台に帰ってきた挑戦者として、全員がそれぞれの立場で実力以上の力を発揮するその日が楽しみで仕方ありません。







「日本一のマネージャーになりたい」

これが私の最後のワガママです。