いつもご声援ありがとうございます。


全日カウントダウン企画12人目は、同期からの愛あるオリジナル応援歌が人気を博している日高涼汰(経4/三田学園)です!




 ​"そんなこと"の徹底に"損なこと"はない


平素より弊部の活動にご支援とご声援を賜り、誠にありがとうございます。関西大学体育会準硬式野球部の副将を務めております日高涼汰と申します。野球史ということで私の野球人生について、少しばかり綴らせていただきます。拙い文章ではございますが、お読みいただけると幸いです。


幼少期

私は大学までサッカーを続け、ミッドフィールダーとして活躍して優秀選手賞を獲得した経験もある父、高校ではソフトボールで1番ショートでリードオフマンとして活躍し、親子野球ではツーベースを打ちジャージ姿でスライディングをする母のもとに生まれ、スポーツをするのは必然だったのかもしれません。私は幼少期から父と公園でキャッチボールをしたり、サッカーを教えてもらったりしていました。本格的に野球を始めたのは幼稚園年中です。私は毎週1kmのマラソンや勉強では掛け算まで習得するいわゆるスーパー幼稚園に通っていました。そこに野球部があり、園長先生に誘われて入部しました。ここから18年間の野球人生の幕が開きました。ここでバッティングの楽しさやボールを取る喜びを感じ、野球をずっと続けたいと思うようになりました。

 




 少年野球

小学校入学後は小学校の野球部に入団し、主にピッチャーとキャッチャーとサードを守り、打順も1番か4番を任され、主力として活躍していました。この頃は家の駐車場にネットを置いてピッチングをしていたり、ランニングマシンを買ってランメニューを行ったりとほぼ毎日練習していました。また、バッティングセンターの通いすぎで関大準硬でもお世話になっているシャロームさんで8月(10本)と9月(6本)の2ヶ月連続でホームラン王に輝いたこともありました。また、5年生の後半にはキャプテンに指名されチームを率いていました。チーム自体はとても強く、県大会優勝1回、準優勝2回、その他の大会も合わせると10回以上は優勝していました。これだけ見ると華々しい経歴ですが、正直気持ちはいっぱいいっぱいでした。チームには後に健大高崎高校でレギュラーとして甲子園に出場するやつや神戸国際大付属高校で背番号1をつけたことがあるやつなどすごいメンバーがたくさんいました。私はそのメンバーに追いつこうと練習のしすぎとキャプテンとしての責任感でオーバーヒートしてしまったのです。それが症状に現れたのが、6年生の春でした。ピッチングの練習をしていた際にストレスから来る過呼吸により倒れてしまいました。そこから何度か過呼吸になる症状に襲われ、人前に立つことやメンバーを引っ張ること、感情を見せることが怖くなりました。昔の自分に言葉をかけるとしたら「そこまでがんばらなくていいんだよ」とかけてあげたいです。ちなみに関西大学応援団団長を務めている森口は少年野球時代、ライバルチームとして投げ合った相手でもあります。今や副将と団長の立場で仲間になっているのがとても感慨深いです。





 

 中学時代

中学校に入学後はクラブチームに入団しました。そこは現巨人の坂本勇人選手などプロ野球選手を輩出しているチームで日々の練習も辛いものがありました。ただ、今振り返るとこのチームで過ごした時間が1番精神面が鍛えられ成長し、今の自分を作っているのだと実感しています。私は1年生の頃からレギュラーとして上の代に混じって試合に出させていただき、自分達の代では小学校に引き続きキャプテンに指名されました。もう一生キャプテンはやりたくないと思っていた私でしたが、なんとか1年間やり抜きチームをあと一つで全国大会出場まで成長させることができました。

 

 高校時代

高校は三田学園を選びました。理由は小学校の頃のチームメイトが先に中学からいたのと文武両道を達成できるからでした。最初は鉄のバットで連続ティーをして血だらけで授業を受けたり、ひたすらダラダラとノックを受け続けたりして、楽しくない日々を過ごしていました。また、この頃はiPadが友達と言われるほど周りとコミュニケーションをとらずひとりぼっちでした。しかし、2年の春ぐらいから試合に出られるようになり、中学校時代では打てなかったホームランも打てるようになりました。ただ、チーム自体が弱いため、地区の関係で県大会には出場できましたが、県大会ではすぐに負けてしまいました。それでも諦めず必死に練習してチームを勝たせられるようにがんばっていましが、コロナが流行り甲子園がなくなったことでやる気が一気になくなりました。甲子園中止の記者会見を見ながら坂木と2時間電話したことが昨日のことのように思い出されます。その後代替大会が行われたのですが、チームはほぼ崩壊、最終戦にはキャプテン、副キャプテン、セカンドを守っていた古田が不在という状況で試合を行った結果、予想通りコールド負け。唯一盛り上がった場面は坂木が満塁ホームランを打った場面です。私は2塁からボールを見上げていて、坂木の努力が報われて本当に嬉しかったです。(坂木の野球史で上がっている動画で打球を見ながら2塁でぴょんぴょんしているのが私です)

 

 永田準硬

私はモチベーションの低下や腰の怪我もあって大学では野球をやるつもりではありませんでした。実際に準硬式に入部する前には関大の麻雀サークルに体験に行ったこともありました。しかし、肌に合わず何もすることがなかったため、自分には野球しかないなと思うようになりました。そこで、高校の部長が関大準硬の全国制覇時のキャプテンだったことや古田と坂木が準硬に入ることを決めていたため、私も準硬に入ることに決めました。はじめ同期に思ったことは最初の練習でグラウンドに吐くやつがいたり(水島)緊急事態宣言下で練習ができない時期に個チャで「みんなでお菓子食べながらzoomつなごうや」とまだ仲良くないときに誘ってきたりするやつがいたり(加藤)あいさつしても返さんやつがいたり(白藤)いつも尖っているやつがいて(藤澤)変なやつばかりだなと考えていました。秋リーグでは幸いなことに1回生の頃からレギュラーとして出させていただき、現1.2回生は想像つかないと思いますがサードで出場していました。その頃の私は正直準硬のレベルってあまり高くないなと感じていました。というのも1回生の秋リーグで第3節終了時に打率4割6分7厘、出塁率6割超え、打点ランキングトップでした。しかし、そんな長く伸びた鼻は簡単に折られ、第4節、第5節にかけて11打席連続ノーヒットを記録して打率も2割台に下がりました。今振り返るとベストナインを取れるとしたらこの時が1番近かったなと感じています。また、この頃が最ものびのびと野球ができた時期で先輩にも可愛がってもらい永田さんと谷村さんに雀荘に連れて行ってもらって徹夜麻雀をしたのがいい思い出です。さらに、ルーティンとなっている試合前のプリンも秋リーグの2節目に雨で前の試合を待っているときにプリンを食べてヒットを打ったのがきっかけとなりました。今では「私の分も買ってこい」と誰かさんに半ば命令されながらも2人でプリンを食べています。





 

加藤準硬

加藤さんの代になり気づけば自分らが中心のメンバーでした。特に1番藤澤、2番日高、3番福留の打順は不動の打線で今でも理想の打線だと思っています。この頃はサードから始まり、ファーストで5試合出場し、春リーグではレフトで出場し、1次トーナメントと2次トーナメントではサードに返り咲くといったポジションがコロコロ変わっていました。グローブを3つ持っていかないといけないのは大変でしたが、いろんなポジションをするのは楽しかったです。加藤準硬で強く印象に残っていることが2つあります。1つはタイトル獲得です。私は春リーグで3割6分を記録し打率十傑のタイトルを獲得することができました。初めてのタイトルですごく嬉しかったとともに努力が結果として現れ、もっとがんばろうと思える瞬間でした。もう1つは清瀬杯がかかった1戦です。藤澤、日高、福留のタイムリーで2点リードして迎えた9回、あと2アウトとれば清瀬杯出場決定からサヨナラ負けしたあの瞬間は今でも忘れられません。特にやまこうさんと見たマウンドからの景色は今でも脳裏に焼きついています。ただ、すごく悔しかったけど、あの負けがあったから本気で全国目指したいと思いました。

 

福永準硬

自分らの代が始まり、私は副将に選ばれました。過去の経験からチームを引っ張るのは苦手だと感じていましたが、1回生からメンバーに選ばれていたことと私が1番いろんな面において野球を知っていると自負していたので引き受けました。しかし、先頭に立って柱としてチームを引っ張る福永、プレーや言動でチームを引っ張る藤澤に対して、少し引け目を感じ、自分の役割が分からなくなる時期もありました。でも、練習メニューを作ったり、試合の戦略を考えたりしていく中で自分の役割を見つけることができました。また、学業ではゼミ活動が始まり、研究に没頭するときもありましたが、それが良い息抜きにもなり、上手く野球に入り込めた要因にもなりました。秋リーグでは万年4位の称号を外すことができず、当時は春リーグ優勝できるとは思っていませんでしたが、春リーグ前の練習試合で甲南大学と大阪経済大学に勝利し、なんとなく戦える気がしていました。いざ、リーグ戦が開幕して同志社大学に2連勝し、チームはそのままリーグ優勝。プレイヤーとしてはあまり活躍できなかったですが、タイトルを獲得したときより格別な喜びがありました。関西選手権では中学の同級生である水野率いる兵庫医科大学との試合で3安打3打点をあげ、今までの鬱憤を晴らすことができました。準決勝の先端大学戦に勝利し、全日の切符を掴んで、目標であったリーグ戦優勝と全日出場の2つを達成できたことは野球人生の中で最も輝かしい出来事であり、今まで野球を続けてきて良かったなと感じています。







 

チームへの想い

 

幹部へ

チームテーマを決めるところから始まり、チームが勝つためにどうしたらいいか、部員がやりやすい環境にするにはどうすべきか、今までいっぱい悩んで考えて最も濃い1年間を過ごしましたね。最初に立てた2つの目標を達成できたことは俺たちが本気でチームに向き合った結果だと思います。素直に喜んで、全日では集大成を見せられるようあと1週間がんばりましょう。

 

すみれへ

まず、初めの頃に「別にマネージャーはおらんでもいいと思う」なんて言ってすみませんでした。すみれの練習への向き合い方、普段の行動を見ていると少しは考えが変わった気がします。他にもマネージャーとしての役割以上のことをやっていて本当に感心させられることばかりでした。全日ではリーグ戦同様たくさん泣かせるつもりなのでハンカチの準備をしておいてください。

 

柿沼へ

主務という慣れないポジションながらすごくチームのために身を粉にしてがんばってくれてありがとう。チームがここまで来れたのは柿沼のおかげだと思います。全日が終わればいっしょに推し活しましょう。

 

同期へ

まず、1回生のとき、自分が試合に出ている中、応援はもちろんのこと、門番や審判をやってくれて本当に感謝しています。正直こんなに長くみんなと野球ができるとは思っていなかったけど、最後みんなと野球ができる舞台が全国大会でめっちゃ嬉しいです。また、応援歌であるガッチャマンや試合中の声かけなどを聞いていて、君たちは本当に私のことが好きなんだなぁとしみじみ感じています。あと少し力を貸してください。

 

チームのみんなへ

頼りない副将でしたがついてきてくれてありがとう。虹色のチームテーマ通り個性豊かなメンバーがいて、まとめるのがしんどかったけど、その個性を集結させるとこんなに強くなるのかと驚かされました。今の関大であればやれると思うので、リーグ戦や選手権のときの熱量をもって、最後の戦いに挑みましょう。

 

さいごに

いろいろと書き綴ってきましたが、自分ってほんとに真面目でおもんないやつって思いました。私の性格上、みんなが胴上げをしている中でも、みんなの喜ぶ姿をおさえるために胴上げに加わらず動画を回しているぐらい周りの幸せが自分の幸せなので、もしかしたらマネージャーの方が向いているのかもしれません。だからこそ、みんながいじってくれたり、声をかけてくれたり、いろんな人の支えがあって今の自分がいるのだと実感しています。その方々に感謝しつつも、今まで誰かのためにと行動してきた人生だったので、最後くらいは自分のために全力で野球を楽しみたいと思います。チーム一丸となって準硬の頂を勝ち取って、もう一度福永を胴上げしてやりましょう!