いつもご声援ありがとうございます。
全日カウントダウン企画10人目は、三度の飯よりゲームが大好きな代打の神様、水島拓務(シス理4/北須磨)です!
自分のヒットの動画見てる時が一番楽しい
とりあえず書いてみたらあまり面白くない自伝のようなものが出来上がってしまいました。暇で暇で仕方がない時などに読んでいただけたらと思います。
幼少期
弟という生き物は兄にあこがれる習性があり、僕もその例にもれず、兄についていくようにして幼稚園の年長のときに野球を始めました。始めたころのことはほとんど覚えていませんが、芝生でかけっこをしたり、サイドスローでキャッキャしていたような記憶があります。その後、小学1年生の夏休みに引越しをすることになり、「無理に野球は続けんでもええけどどうする?」と両親に聞かれたときには泣きながら続けたいと言っていたそうです。多分野球が好きになったのではなく、兄と離れたくなかっただけだと思いますが。この時から、僕の野球人生が本格的に始まったのだと思います。
少年野球
引越し先の小学校で活動をしていた少年野球チームに入団し、練習の日々が始まりました。初めのころはバッターボックスで突っ立っているだけだったので、四球か見逃し三振しかありませんでしたが、徐々にバットも振れるようになっていきました。3年生の時に、スイングが左のほうがきれい、という理由で左打ちに変更。学年が上がると中心選手として活躍できるようにもなり、6年生の時にはキャプテンを務めました。リーダーシップは特になかったと思いますが、先攻後攻を決めるじゃんけんの勝率は高かった…はず。
中学野球
小学校卒業と同時にまたもや引っ越し。ですが、この時点で少なくとも高校まで野球は続けることを決めていた(と思う)ので、硬式のクラブチームに入団しました。少年野球ではそこそこ活躍していたのですが、バットとボールが重くなったことによってボールが全く飛ばなくなってしまい、しばらく活躍の機会はありませんでした。それを見かねた父の朝練熱血指導が始まり、徐々に強い打球を打てるようになっていきました。守備練習は本当に嫌いでしたが、バッティング練習は黙々とできるくらいには好きになっており、足の遅さ、守備の下手さが徐々にばれてきていたこともあって、バッティングで勝負することを意識し始めました。一番大きな夏の大会では活躍できませんでしたが、秋の大会(半分引退状態になった3年生が出場するお楽しみ大会。2,3個あった気がする)ではサヨナラヒットを打つなどの活躍ができました。この大会でかなり自信をつけれたような気がしています。
話は変わりますが、中学1年生の水島少年は、引越しによって友達が0になり、ストレスから胃痛にも悩まされるかわいそうな子でした。そこで友達を作るため、学校の部活動ではソフトテニス部に入部して、平日の練習のみ参加していましたが、これがめちゃくちゃ楽しかったです。
生まれ変わったらテニスをします。
高校野球
高校はそこそこの学力にそこそこの部活、徒歩圏内という好条件だったため、北須磨高校を選択。2年の時から試合に出たりでなかったり、調子を上げたり落としたりを繰り返していました。この人オフシーズンだけやたら打つんですよね…
3年生になるとチームコーディネーター(要は風紀委員)として、新たに勉強面の管理をすることになりました。テスト期間の練習日程を決めたりするのですが、練習を減らせと言ってくる部員と、この練習じゃ足りないという監督の間で板挟みになり、非常に苦しい思いをしたのはいい思い出です。
最後の夏体では、今や関大硬式野球部のエースとして活躍している金丸投手擁する神港橘とあたり完敗。最近になって僕の見逃し三振の映像がニュースだかなんだかで流れていたようです。
大学野球
高校野球が終わり、あまり勉強をしていなかったのですが、関大にうっかり合格してしまったので、「大学野球はおまけ」の理念のもと、準硬式野球部に入部することにしました。体験初日は1人ではほとんど乗ったことがなかったバスを見事に乗り間違えて遅刻、2日目はトレーニングメニューにやられてミーティング中に嘔吐するなど完全にやべー奴としてのスタートになりました。
1回生の秋リーグ期間には紅白戦にて“学年では初となる“ホームランを放つなど、バッティングの人としてのイメージを植え付けることに成功し、肩を痛めたことと、シンプルに守備が下手くそだったことなどから徐々にバッティングに専念するようになりました。
2回生から代打要員として使ってもらえるようになり、リーグ戦では試合を決める決勝打を打つなど、そこそこの活躍ができたと思っています。
3回生としてのリーグ戦は、単位の関係で授業に出席しなければならなかったことや、リーグ戦に遅刻するなどの数多のやらかしによって出場がほとんどない状態になってしまいました。その節はご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。
チームへの想い
まずは、様々なご迷惑をおかけしたことについて改めて謝罪させていただきます。申し訳ありませんでした。おかげさまでとても楽しい3年間を過ごすことができました。こんな僕でも、チームの一員として最後まで楽しく野球ができたのは、みんながいてくれたからだと思っています。おもろいやつ、優しいやつ、まじめなやつ、いつもいじられてるやつ、何考えてるかわからんやつ…
自分たちの色は虹色やな、と改めて思います。僕も少しは自分の色を出せていたのなら嬉しいです。
ここまでみんなと一緒に野球ができて嬉しかった。楽しかった。ありがとう。
最後に全日で、俺らの色をめいっぱい出して、笑って終われるように頑張るから、
最後までよろしく!
P.S.
フォークとチェンジアップとスプリットをまとめてツーシームと呼ぶのは嫌いなのでやめてください。



