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4日目は眞鍋秀太(商4/関大一)です✨
意思の弱さが生んだ野球人生
いつもご声援ありがとうございます。
先日の試合をもって引退となりました、準硬式野球部4回の眞鍋秀太です。
今回は僕の思いとともに野球人生を振り返りたいと思います。
僕の野球人生のはじまりは、母の無理やりからでした。幼少期の僕はあまりスポーツに興味がなく、インドアでおとなしい性格でした。小学生になり、「なにかスポーツは経験してほしい」という母の意向から、地元の野球チームに半ば強引に入部させられたのが、僕の野球との出会いでした。せっかくの土日休みは野球で丸潰れするし、監督、コーチは怖い人ばかりだし、正直少年野球時代では野球を楽しいと思ったことは一度もなかったです。バッティングが大の苦手で、6年生の頃には年間通して10本もヒットが出なかったりと、輝かしい野球人生とは真逆の生活を送っていました。
そんな経験から、中学では絶対に野球をやらないと決めて地元の中学校に入学しました。しかし、少年野球の仲間や先輩から「中学は少年野球とは違って半日しか練習ないしそんなにしんどくないで」や「人数少ないから下手くそでも試合出れるで」などと声をかけられ、意志の弱い僕は中学でも野球部に入部することを決めました。
人数もぎりぎりの弱小野球部でしたが、そんな中で僕のバッティングセンスが突如開花します。初試合での初打席でいきなり初ヒットが飛び出すと、そこからなにかを掴み、一番打者としてチーム1のアベレージヒッターとなりました。また、二年からはキャッチャーを任されチームの中心的な役割となりました。これまで経験したことのない活躍ぶりで、ここではじめて「野球が楽しい」と感じることができました。最終的には市のブロック選抜に選出していただけるほどになり、小学校とは180°違った生活を送りました。
しかし、同時に野球人生で最も辛い時期でもありました。その原因は、三年になりキャプテンに任命されたことでした。もともと人数も少なく個性的なチームでしたが、選手によりモチベーションの差が激しく、まとめることが本当に大変でした。考えすぎてしまう自分の性格も相まって、学校にも行きたくなくなるぐらい悩み、辛い思いをしました。このように、中学では天国と地獄の両方を味わいました。今考えるとこの頃の経験が今の人生に生きていると感じます。
中学野球で自信をつけたこともあり、高校でも自慢の肩をアピールし、夏の大会で一年生ながらベンチ入りを果たしました。また、はじめて大きな大会に出場できたのもこの時期です。二年生時秋の大阪大会、自分たちの代となりはじめての大会で準優勝を果たし、近畿大会に出場しました。新チームから4番を任され、責任感と闘いながら得たこの結果は、大きな自信になりました。チームとしても自信をつけた結果、その後の大会でも常にベスト4以上の結果を残すことができました。チームメイトも素直でいい奴ばかりで、高校時代は野球人生で最も良い思いをし、最も野球が楽しいと思えた時期だったと思います。
大学では野球は続けず、適当なサークルに入り適当に過ごそうと考えていました。しかし、例のごとく期間が開くと野球欲が高まっていきます。野球サークルに入って楽しく過ごそうとも考えましたが、友達に準硬に誘われたことをきっかけに体育会準硬式野球部に入部することに決めました。(その友達は結局準硬には入らずに僕だけ取り残されました。なんで?)
事前にインスタなどで活動をチェックしていて、体育会だけどいい意味で楽しく活動しているなというのが僕の準硬に対する第一印象でした。高校である程度の自信をつけた僕は「大学でも活躍したる!」と意気込んで練習に向かいましたが、その自信は完璧に打ち砕かれます。硬式野球を経験してきた同期たちが軽やかに動く中、僕はフリーバッティングでバットにボールを当てることすらできませんでした。本気で甲子園を目指して努力してきた人と自分との力の差を目の当たりにし、かなり落ち込みました。また、例のごとく考えすぎな性格から同期たちへの負い目を感じてしまい、あまり積極的に輪に入っていくことができませんでした。
しかし、このままではいけないと、自分の実力から目を背けずに練習を重ねました。その結果かはわかりませんが、一つ上の代の春リーグではじめてベンチ入りを経験させてもらい、優勝の歓喜の輪に入るという超貴重な経験をさせていただきました。(のちの関西選手権、全日本選手権では、偉大な前主務との枠争いに敗れてしまいました。。)結局最後までスタメンで出られるような選手にはなれなかったけど、自分の中では一番野球に向き合えた期間だったし、まったく後悔はありません。
チームへ
3年間本当にありがとうございました!
下手くそで、プレーでは全然チームに貢献できずにごめんなさい。それに加えてあまりよく話す性格じゃなかった分、扱い方に困った人も多かったんじゃなかったかなと思います。すいません。謝ってばっかりになってますが、こんな自分を受け入れてくれた同期や先輩、後輩たちには本当に感謝しかありません。
一回生の秋頃、少し休部してしまった時期に「はよ帰ってこい」「待ってるで」と連絡してくれたことで本当にすくわれたし、今こうやって野球をやり切ることもできてなかったと思います。
途中からは選手以外にも連盟委員としてチームを見ることが多くなった中で、改めて本当にいいチームだなと感じていました。最後は一次トーナメント敗退という悔しい結果に終わってしまったけど、みんなが全力で一球に集中して、がむしゃらにプレーする姿は本当にかっこよかったし、同時に自分もスタンドではなくて同じフィールドでプレーしたかったなと感じました。これだけ良いチームを作ることができたのは、紛れもなく今村を中心とした幹部のみんなが見えないところで頑張ってくれたからだと思うし、本当に感謝しています。これからは短い引退ライフを存分に楽しんで大学生活を謳歌しましょう!
そして、後輩たちは佐竹を中心にここから秋リーグに向けてチームを作っていくと思います。実力のある選手も多いし、仲も良く、すごくいいチームになるはずです。全員が試合に出れるわけではないけど、全員が同じ方向を向いて、それぞれが自分の役割にやりがいを感じながら頑張ってください。応援しています。
母へ
まずは、小学三年生から今までの野球人生を支えてくれてありがとう。無理やりにでも野球を始めさせてくれたから、今の自分があります。当時はなんで入れたんだと恨んだこともあったけど今となっては心から感謝しています。弟も含めて、女手一つで学校や野球のサポートをするのは本当に大変だったと思います。誰よりも早く起きてお弁当を作ってくれて、思春期の自分が「来ないでいい」と言ってもいつも球場に応援に来てくれました。中学の頃キャプテンのことで悩んでいたときも、誰よりも寄り添ってくれたし、誰よりも叱咤激励してくれました。僕にとっては母親でもあり父親でもあるような優しさと強さに何度も救われました。
最後は試合に出て活躍する姿を見せることはできなかったけど、おかんがはじめさせてくれた野球は本当に最高だったと胸を張って言えます。これからは野球からは離れるけど、いつまでも見守っていてください。







