いつもご声援ありがとうございます!
5日目は原澤優吾(安全4/桜井)です✨
色んな人に助けてもらった野球人生
こんにちは。4回生の原澤優吾です。引退したにもかかわらず、自分の事について書かせてもらえるとのことなので、頑張って書かせていただきました。色んな事を思い出して、長くなってしまいましたが、読んでいただけると嬉しいです。
私が野球を始めたきっかけは、父の存在でした。小学校に入学する前、父の草野球についていき、1人生キャラメルを食べながら試合を観ていたことを今でも覚えています。このことが大きな刺激となり、野球に興味を持ち始めました。
小学校入学後、すぐに学校で練習している野球部の体験に行きました。そこで野球の楽しさに触れ、当時F1レーサーになる夢と迷っていたのですが、野球選手になる夢を追いかけることにしました。しかし、体験の時に優しかった監督、コーチ達がみんな鬼に変わり、最初の頃は大人の目をとにかく気にして、凡退、エラーする度に泣いていました。また、監督と1対1のノックの時、打球が鼻に当たってしまったにもかかわらず、監督はバットを止める事なく、鼻血を出しながらボールを追いかけていたこともしっかりと覚えています。
そんなこんなで学年も上がっていき、同級生の仲間も増え、さあ、上級生に揉まれながら少しレベルの上がった野球をしようとしていた小学4年の時、転機が訪れました。母とのお別れです。誰よりも応援してくれていた大好きな人がいなくなってしまい、何をする気にもなれず、もうやめようと思いました。しかし、父から「母さんは病室でも応援してたんやで」という言葉を聞き、こんな所でやめてしまっては母さんが悲しむと思い、できるところまで続けようと決めました。父は仕事で疲れているはずなのに、毎週土日朝早くから弁当を作って、送り迎えしてくれました。チームのみんなにもたくさん助けてもらいました。毎晩のように夜ご飯呼んでもらったり、金曜日から日曜日まで家に泊めてもらい、お世話してくれる友達がいたりと、私には第二の家がたくさんありました。父をはじめ、周りの友達、その親の皆さんに助けてもらって最後まで続けることができました。最後の一年では、目標としていた県大会に出場することができ、優勝はできなかったものの、最後はみんなで涙を流すくらい本気で野球をすることができました。周りの人達には、本当に感謝しかありません。
中学では、学校の野球部かクラブチームに入るか、とても迷いました。色々なチームを見た挙句、家から1番近いクラブチームに入部しました。当然、周りのレベルはグッと上がり、1年生の頃は、なんとかついていこうと必死でした。その気持ちが良かったのか、入部して初めての練習試合でいきなりヒットを打つことができ、いいスタートダッシュを切ることができました。ただ、本当にスタートだけでした。2年生になると、ずっとベンチ。自分の下手くそさを強く実感してました。そしてトドメの一発、ボール回しで先輩に怒られ、イップスを発症してしまいます。ボールを投げたいところに投げることもできなくなり、練習もとてつもなくしんどかったので、間違いなく1番野球が嫌いな時期でした。しかし、諦めきれず、3年の頃にはイップスを克服し、ピッチャーも少しだけやらせてもらいました。ある大会の決勝で先発を予定していた子がプレイボール3分前に球数制限で投げられないと分かり、急遽キャッチボールもしてない私が先発をすることになった意味わからん事もありました。準優勝でした。
高校は、野球も勉強もできる学校がいいと思い、奈良県の桜井高校に進学しました。そう、「笑わない」「土下座する」高校です。中学同様、いきなり練習試合で使ってもらい、ヒットを打ったことは、鮮明に覚えています。いいスタートダッシュを切り、高校ではそのままダッシュすることができました。1年生の夏からベンチに入れさせてもらい、秋にはスタメンで出させていただきました。2年の頃には、ファーストも少しやらせてもらってました。 その秋、大会で当時の前川右京選手にファースト線をあっさり抜かれ、試合中にグラウンドで帽子を取るほどの説教をされたことは、今や笑い話になってます。また、牽制の返球でイップスが再発し、監督に「外野に戻れ」と言われ、ファースト人生は終了しました。
そして外野で活躍しようと思っていた矢先、コロナが流行してしまいました。先輩の大会が無くなっていき、そのまま3年生に上がりました。3年では主将をやらせてもらい、先輩の分までとやる気満々だったのですが、チームをまとめる難しさに悩んでしまいました。同級生や下級生にまで相談して練習メニューを決めていたり、副キャプテンでもない子が1年生を集めて説教をしたりと、本当にチームのみんなに支えてもらっていた頼りないキャプテンだったと思います。しかし、みんなついてきてくれて、秋の大会ではベスト8まで行くことができました。よし、これからもっと、って思っていたのですが、春は3回戦で負け、最後の夏は、少しニュースになったナックルボーラーがエースで強豪校にこそ刺さるだろうと思っていたのですが、負けるとは思っていなかった相手にあっけなく負けて、高校野球が終わりました。しかし、1番本気で野球をした時間で、たまには仲間達とアホなこと言うて、バカなことして、なんだかんだ1番野球が楽しかった1年間でした。
そして、大学生。もう本気の野球は終わって、カートで遊んだりバイクに乗ったりしようとしてました。しかし、高校野球があっけなさすぎて、いつの間にか悔しさが出てくるようになりました。そして、準硬式野球を調べるようになり、入学式後のオリエンテーションでたまたま横に橋本くんがいて、お互い準硬式に興味があるという話になり、そのまま入部を決めました。当たり前ですが、野球のレベルがとてつもなく上がり、1回生の頃はずっとB戦で試合に出させてもらっていたくらいで、多くの同期がリーグ戦に出たり、ベンチに入ってたりする中、スタンドで応援していました。高槻で試合の時は、得点板裏で福岡くんや伊藤くんとカップ麺をすする事も何度かありました。そのまま下手くそだわイップス再発するわでベンチにも入れず、2回生になりました。この年には様々な経験をさせていただきました。秋リーグ、二刀流の藤澤さんがピッチャーの時、スタメンで出させていただきました。が、全く打てず、次期主将の佐竹くんが外野に来て、あっさり負けてしまいました。春リーグでは、守備で2試合ほど出させてもらい、優勝が決まる最終戦では公式戦初ヒットを打つことができました。あの時、一塁ベースで見たベンチとスタンドの雰囲気、経験は一生の宝物です。こんな私を使ってくれた幹部の皆さんには感謝しかありません。全日のベンチにも入れさせてもらい、本当にいい経験をさせてもらいました。なのに、最後の1年はチームに貢献することはできず、最後の試合はベンチの上から見て、引退となりました。いい経験をさせてもらったにも関わらず、自分で捨ててしまうようなことをしてしまい、情けないなと感じる一方、みんなと冗談言いながら練習する毎日がほんと楽しかったし、大学まで野球ができて、幸せでした。
後輩へ
後輩に対しては、4回のために最後まで力を貸してくれて、本当に感謝の気持ちしかありません。ありがとう。ほんで、野球下手で話おもんなくて目立ってなくて頼りない自分の事を先輩として接してくれてありがとう。嬉しかったです。あまり野球のことは言えないので、、仲間との時間を大切にしてください。現に準硬楽しかったなあって感じてる自分がいるので、当たり前の日々を大切に過ごしてください。仲が良くて、朝練もしてて、実力もあって、素晴らしいチームだと思います。佐竹主将を中心に、今村がずっと言うていた、「関西一のチーム」になってください。応援しています。
同期へ
まず入部してから仲良くしてくれてありがとう。おそらく準硬のみんながいなかったら、大学で友達いなかったと思います。正直、練習は嫌やけどみんなに会えるから行こうってなってた事もたくさんありました。それくらい同期のみんなが大好きです。最初は、先輩にチクチク当たったり、何度も問題を起こしかけたりと、自分含め色んなやつがいて、自分の代大丈夫なのかなって思ってたけど、今村はじめ、幹部のみんなが陰で頑張ってくれて、最後はみんな笑顔で終われるほど、素晴らしいチームになっていたと思います。そんな同期と一緒に野球できた時間は、僕の宝物です。あんまりチームに貢献できなかったけど、みんなのおかげで最高な大学野球をすることができました。本当にありがとう。
親へ
小学1年生から今まで、ずっと野球をやらせてくれてありがとう。最初の頃、野球が嫌で嫌で夜遅くまで母さんに相談していました。けど、母さんはずっと「続けなさい」と言って、妹2人の世話をしながら、弁当作って、応援に来てくれました。母さんの存在がなかったら、どこかでやめてしまっていたと思います。ずっと応援してくれてありがとう。
そして、父さん。本当にすごい人です。母さんがいなくなってから、いきなり1人になってしまったにもかかわらず、朝早くから仕事へ行き、子供3人の世話もし、野球まで続けさせてくれて、本当にありがとう。感謝の言葉しか出てきません。大学で活躍する姿を見せたかったけど、できませんでした。ごめんなさい。けど、野球というスポーツを通じて、本当に色んな人に出会えて、色んな経験をさせてもらいました。この先社会に出ていくけど、父さんがずっと言うていた「色んな人への感謝の気持ちを忘れず」に、父さんみたいな立派な人間になろうと思います。まだ言うか、って思うかもですが、これからも見守っていてください。
僕の野球人生に関わってくださった方々、本当にありがとうございました。





