いつもご声援ありがとうございます!
3日目は野村健翔(化生4/関大一)です✨
野球・同期・親ありがとう
いつも応援していただきありがとうございました。野村健翔です。今回は野球史ということで、普段あまり語ることない私の野球人生とチームへの思いを書かせていただきます。
私が野球を始めたのは小学校1年生の時です。野球を始めた理由は父が野球をしている姿に憧れて野球を始めました。小学校では3つの異なるチームに所属し、小学校1・2年生は野球教室的な所に所属していました。そこでは野球の楽しくできたと思います。
そして小学校3年生から友達から誘われて、地元のソフトボールチームに入団しました。練習すればするほど試合で打つことができ、すごく嬉しかったので早朝から父とバッティング練習をし、家の前の壁当てをしながら捕球練習をしていました。そのチームは監督が厳しくて、冬の練習では意味もなくベースランニングを監督が良いと言われるまで走らされて、長い時間は朝から夕方までさせられました。その結果、足が早くなったのかなと思っています。 4年生の頃から3つ目のチームの市の選抜チームに選ばれ、5年生のときに全国大会の出場が決まり、このチームでは野球の楽しさだけではなく自分たちで考えて野球をすることが学びました。ただ平日の練習はなかったので、毎日友達と外で野球をずっとしている生活をしていました。
中学校では学校の軟式野球部に入部し、1年の夏から試合に出させていただきました。小学校から一緒の子が多かったのでのびのびと野球をしていました。この頃はずっとショートやセカンドを守っていましたが、2年生の春にピッチャー不足でピッチャーをすることになりました。ピッチャーは別で走ったりタイヤを押したりする練習が嫌すぎてやりたくなかったのですが、小学校の頃に見た大阪桐蔭の藤浪晋太郎投手にかっこいいなと思っていたのでやってみようと思いました。しっかりと抑えることができていて、この時は7回まで投げていて今は2イニング投げてもしんどいのにこの時は異常に体力があったんだなと実感しました。
高校は姉の影響もあり、千里キャンパスの横にある関西大学第一高等学校に入学しました。はじめは野球するか、違うスポーツするかで悩んでいましたが、アメフトの人の体を見てこれは無理だなと確信し、硬式野球部の体験に体操服のショートがノックを受けはじめ先輩や同期にこいつ何やって思われながら入部しました。初めて監督を見たときに、アメフト部の友達よりも体がデカくて、入る部活を間違えたと思いました。
はじめは内野をやっていましたが気づいたらブルペンで投げていました。そして高校1年のときに練習中に干されてやる気を無くし退部届まで出しにいったときに監督にそこで怒られ、辞めることをやめて野球を続けました。
2年の冬に肩を怪我して記録員として試合に入り優真のエラーがベンチのせいになり高槻のレフトファールゾーンを走らされたり野球以外のことの思い出が多かったなと思いました。夏の大会ではメンバー入りし、さめや優真が試合に出ているところを見ながら高校野球の幕を閉じました。
大学野球
高校は怪我などで中途半端に野球ができていなかったので試合に出て野球をしたい、優真やさめが準硬に入ると聞き安心して準硬式野球部に入部しました。1回生のときはピッチャーではなくショートをしていましたが、夏の合宿前にけんしんと一緒にピッチャーと野手をするようになりました。ピッチャーと内野手の兼任はどっちも中途半端になってしまうのではないかと思いピッチャーのみで練習をはじめました。
2回生の秋リーグの途中からベンチ入りさせていただき様々な経験をさせていただきました。2回生の春リーグで私は同志社戦で初めてリーグ戦で投げさせていただき1点差だったのですごく緊張してたんですが福永さんに構えた所に投げたら大丈夫だから安心して抑えることができ、初めてカンスポにインタビューさせていただき初めてのことが多かったので、この出来事が準硬の中で一番印象に残っていることと思っています。
そして全国大会に出場し、ベンチ入りしなかったですが相手チームの偵察をしているときに、球場が変更になり、バスが行っちゃって置いてけぼりになったり、全国大会でも柿沼さんにはお世話をかけました。すみませんでした。
そして先輩が佐賀で引退し、自分たちの代になった途端、就活がはじまり週に2回ぐらい説明会やインターンシップに行くようになり野球を真剣にできていなくて今思うとそのときに練習しておけば良かったな、もったいなかったなと後悔が残ります。
そして最後の春のリーグ戦、私はメンバー入りができずカメラマンをさせていただきました。ベンチの真横で応援させていただき全員が勝ちたいという気持ちが伝わり本当に勝ちたいそのためにも何でもするという気持ちになりベンチに入れなかった悔しいよりも2連覇してほしいと思っていました。1次リーグで2回戦からベンチに入らせていただき声でなんとかしたいと思っていました。そして人健との試合で結果的にサヨナラ負けになり、最後に1球の怖さを知りました。最後にマウンドに4回生が立っていなくて後輩には申し訳ないなと思いました。ほんとにありがとう。
私は16年間野球してきた中で、一番楽しかったし準硬式野球部に入部してレベルの高い場所で野球ができたことは自分の人生の糧になったと考えています。本当に準硬式野球部に入部して成長できました。この経験を活かして社会人でも頑張りたいと思います。
後輩へ
最後まで力を借りて助けてくれてありがとう。
竹下も言っていたけど、最後にマウンドに4回生が立っていなくてごめん。春リーグ、カメラマンの所から見ててほんまにみんながかっこよかったです。みんなにもリーグ優勝、全国を経験してほしいです。今までやってきたことが全部吹き飛ぶと思うんでリーグ優勝、関西一、全日出場を目指して頑張ってください!!部室に行ったら、みんなトレーニングや練習しててすごいなと思ってて部室にはいないけど毎日学校にはいるので見つけたら声かけてください!!
就活はほどほどに、後悔しないようにメリハリを付けて頑張ってください。今までありがとう!!
同期へ
途中退部が3人も出て、1回生のときから色々と先輩に迷惑かけたけど4年間お疲れ様でした。引退して少し時間が過ぎて、練習前の揉め合いとかが見れないのは本当に野球終わったなって実感しちゃって悲しいな。最後、メンバー入らせてもらってみんなの気迫とか勝ちたい気持ちを感じてやっぱこのメンバーで野球ができてほんまに良かったなって思ってます。特に幹部のメンバーには、個性強めの4回生、自由気ままなピッチャー陣をまとめてくれてほんとにありがとう!!このメンバーじゃなかったら本気で野球できていなかったし、野球を楽しくできていなかったと思うみんなと野球できてほんとに良かったです。ありがとう。個性強いメンバーだったけど野球できて幸せです。これから会う機会が減ると思いますが定期的に集まりたいです。
最後に、高校からずっと一緒の優真とさめ高校1年のときにやめようとしたときに止めてくれてありがとう。そこでやめてたら後悔しかなかったと思う。ほんとに気づいたら7年間も一緒に野球してたのが衝撃やけどありがとう。優真は高校の時から主将で大学のときも主将をやることになったときに、先輩が全国出場してプレッシャーを感じるとこやと思ったけど、チームを引っ張ってくれてありがとう。さめは高校のときからずっとキャッチボール相手で偵察班でも同じでほんとに7年間一緒やったなってめっちゃ思う。2人とも試合も先に出て悔しいなって勝手に思ってたけど2人がいなければここまで野球はできていなかったと思います。本当にありがとう。このメンバーで野球ができて幸せです。これからの活躍を期待してます!!
親へ
まず、16年間本当にありがとうございました。
小学校1年生の頃、父の影響で野球を始めてから、これまで野球を続けてこられたのは、間違いなく家族の支えがあったからです。早朝のバッティング練習に付き合ってくれたお父さん、毎週末のお弁当準備、ユニフォームの洗濯をしてくれたお母さん、本当に感謝しています。
特に高校や大学になると、練習や試合の時間が長く、家族との時間も少なくなってしまいました。それでも文句一つ言わずに応援してくれたこと、本当にありがたく思っています。やめたいって言ったときにやめて後悔はないんかって言って止めてくれてありがとうございました。しんどいときも、試合でうまくいかなかったときも、家に帰るといつも普通に接してくれて、それがどれだけ心の支えになっていたか分かりません。
試合で勝ったとき、全国大会に出場が決まったとき、インタビューを受けたときなど、嬉しいことがあるたびに、まず一番に伝えたいと思ったのは家族でした。だからこそ、最後まで野球を続けてこられたと思っています。
これからは社会人として新たなスタートを切りますが、野球で学んだことを活かして、一生懸命頑張っていきます。どんなに忙しくなっても、今まで支えてくれた家族への感謝の気持ちを忘れず、これからも成長していきたいと思います。
改めて、これまで16年間、本当にありがとうございました。これからも温かく見守っていただけると嬉しいです。







