魂の平等 | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

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不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

昨日 とても遠いところから お二人一緒にいらして下さいました



1年ほど前から「いつか二人でまさよさんに会いに行きたい」とそう言って


下さっておりました。


「二人で会いに行きたいけれど 一緒がいいのか 別々がいいのか」と


連絡を頂戴した時 男の子と女の子の姿が見えました。


あー、二人と一緒に会って欲しいのだとそう思いました。



お二人の愛する子どもさんは 自ら亡くなったお子さんです。


その時 わたしでお役に立てるかわからないけれど 会わなければ


とそのように思いました。


実際にご予約を頂戴した2ヶ月位まえから わたしはとても緊張して


おりました。


セッションをお受けしたものの とても深い悲しみを背負われている


お二人にお会いする事 わたしでいいのだろうか、わたしでお力に


なれるのだろうかと 常にわたしの中で自問自答がありました。


でも彼女たちを引き合わせたのも わたしのところに連れてきて下さった


のもお二人の子どもさん達でした。




セッションが始まって早々に 亡くなられたお子さんに「後悔していると


言わないでほしい」と 最初に釘を刺すような感じで言われました。


何故そう言うのだろうかと思ったら 他の霊能者の方に「娘さんは後悔している 


悔いている 寂しい思いをしている」とそんなふうに言われていた事を知りました。 


けれどもそれは 彼女の本意ではないという事がすぐにわかりました。


肉体を持っていた時の感情 亡くなる前どんな思いでいたのかを


教えてくれました そしてお母さんに対する思いも・・・・


けれども肉体の感情とはまた違う魂は すでに光に還りお役目が終わったと


いうような思いで 今はただ眠っているというのか 疲れた魂を癒している


状態でした。 



娘さんが亡くなって間もない頃 おばあちゃんが寝ていたら 亡くなった


娘さんが覆いかぶさってきたと おばあちゃんが電話を掛けてきた事が


あったそうです。


その時 その場面を透視をさせて頂きました。


とても広い畳の部屋の真ん中に 布団を敷いて寝ているおばあちゃんの


姿が視えました。


おばあちゃんは寝入りばな うとうとしている時に夢を見たようで それが


あたかもお孫さんのように思われたのだと思います。


その事をお伝えした時 亡くなられた娘さんが光の粒と共に側に来て


「うん、おばあちゃんに行っていない」と教えてくれました。


その日娘さんは 光と セッションの場所を 何度も行き来されて


いたのでしょうね、呼ばれるたびに忙しかったと思います。





「元気で海外に留学していると思ってほしい」とそのように伝えてくれたのは


もう一人の男の子でした。


18歳とは思えないほど 生前と同じように話術に富んだ話しをしてくれました


学校でみんなの中で常に笑っていた姿 何故自分が死んだのか先生も


友達も考えるかも知れないが でもいくら考えてもそれは誰にもわからない


だろうという事 亡くなる前に何を思っていたのか そして亡くなった後の事


など教えてくれました。


努力家で学校の成績が良かったこと だけど努力している姿を誰にも


見せていなかった事 亡くなった後で行きたいと思っていたところに自由に


行ったこと 亡くなった後も探求したい事がまだまだあり 光の中で勉強と


いうようなことをしていること それは生きて学ぶ生の学びとは違うことなども


教えてくれました。





自ら亡くなる事は 人生を命を絶つという言い方をされますが 絶つのではなく


病気で亡くなる事と同じように お役目を終える事なのだという事を以前 光に


教えてもらったことがありました。


それは生まれてくる時に今世どのような終え方を選んできたのかなのだと


思います。


亡くなった時に 自分の選んだお役目を誰もが知る事になった時


どのような亡くなり方をしていても 無事に順調に終えた事に気が付くの


でしょう。


自ら亡くなった人は 彷徨っているわけでも 苦しんでいるわけでもなく 


同じように元の場所に光の場所にガイドとともに還っています。



自死はまるで重罪のように言われますが 生き方に悪い生き方など


ないように 亡くなり方にも悪い亡くなり方などない事を 光に教えて


もらった事 それはこのようなお仕事をさせて頂きながら 実感する事が


とても多くあります。


輪廻転生してきた中で いろんな生き方を そしていろんな亡くなり方を 


あなたもわたしも選んできました。



ならば この苦しい状況から逃れられるならば 誰もが安易に死を選ぶと


そのように思われるかも知れませんね、けれども今世 どのような終え方を


選んで来たのかによって違うのだそうです。







わたしが言う事は 他の方々と違っているのかも知れません


先日 kokoroさんが まさよさんと似たような事を言っている人が


いると教えて下さいました。


ネットで検索してみたら 霊界とか 段階とか カルマとかなく どのように


亡くなったとしても 必ず誰もが生まれ変わっている事などを本に書かれて


いるようでした。


光や ガイドと同じことをお話されている方を初めて知った時 鳥肌が立つ


思いが致しました。


その本には「前世の記憶を持っている人はいるが あの世の記憶を持って


いる者はいなくて 生まれてくる時にボランティアのような大勢の人が


人々にスープを飲ませることで記憶を消される」というような事をお話を


されていました。




わたしには スープを飲んだ記憶はないのですが わたしが憶えているのは


とても大きな舞台のようなところに たくさんの人が集まっていて それは人と


いうには完全に人の姿ではなく 固体ではあるけれど白っぽい者というか


そのような存在が たくさんたくさん遥か彼方まで続いていていたこと


その中には 白い羽根を持ったものも 黒い羽根を持ったものもいるけど


ほとんどが 白っぽいものたちで 中には半透明なものなどもおりました。


それはあの世というのではなく 誰もが生まれるその時を待っていた


瞬間でした。



生まれてくる時 肉体は産道を通るので顔や体がが押しつぶされるような


感覚を持っています。


けれどもそれとは別に魂が生まれてくる記憶は違っていて 上手く説明


出来ませんが 肉体と魂が生まれて来る時は それぞれ別々にあって


体が産道を通り生まれた瞬間なのか へその緒を切った瞬間なのか 


はっきりしませんが 魂と肉体は同時に進行し 完全に一致し一体になる


瞬間があるのだと思います。






わたしのガイドは 脳はまだまだ解明されていないことが多く、脳について


の科学が進歩すると 人々の死や あの世という概念が大きく変わると


いいます。


「いづれ人々の死に対する考え方や 魂の考え方が大きく変わる時が


くるだろう それは科学とは別のものだと思うかも知れないが 別のもの


ではなく とても重要な関係がある」と わたしのガイドはいいます。


「ま、それもあんたが また次に生まれて来たときの事だろう」と言ったので


「それはもうちょっと勘弁」というと 仙人のおじいちゃんが わっはっは


って笑っていました。


日本でもほんの100年ちょっと前まで 人々は誰もが平等だという考えは


なかったはずです。


生まれた家の格や 職業によってそれは誰もが当たり前のように格付けを


されていたのだと思います。


人は動物を見下し 人は人を見下し 同じ人の命さえも軽んじられていた


そんな時代でした。


それは今もまだ どこかで少し根付いているのかも知れませんが、人は


誰しも 元来平等で自由なのだということに人々は気付きました。


それは 始めはあり得ないことだったのかも知れません。 


認められない 認めたくない事だったのかも知れませんね。



今同じように 人は魂を縛り付けているように思えてなりません


今のわたし達は 亡くなり方や 供養の仕方で成仏できるかどうか


が決まると誰もが当たり前のように思っています。


生きている今も 亡くなった後でさえも 常に上の段階を目指しその為に


修行していると思っています。


霊界にも 魂にも 位や段階があると思っています。



けれどそれは違っていることを いつか誰もが知ることになるのでしょう


人は平等だったように 魂も平等だったと気付く事になるのだと思います。


本来の魂のあり方を知ることで それは自らを縛りつけることを止めた 


魂の開放の時代なのだとそのように思います。


仏教の教えは もともとは人々を戒めや恐怖で縛り付けることでなくて 


慈愛や慈悲の教えを説いていたのだと思います。 







そういえば守護霊になるには魂の位の高いものがなり 守護霊には 指導霊


とか補助霊がいると言ったのは 有名な霊能者のEさんだったと思います。


有名な方がお話をされると 何故か皆さんが同じことをお話始めます。


時としてガイドが変わるという事もお話されていらっしゃいますが、わたしが光や


ガイドに教えてもらうことは 守護霊が入れ替わることはなくて 守護霊は何人


というのではなくて 上手く説明できませんが一体のものであること


そして守護霊は位ではなく それぞれに役割があり その時誰がメインにいる


かと言うこと メインのもの 後方に控えているものがいるのだという事を知り


ました(後方という言い方が適当かどうかわかりませんが) 


そしてご先祖さんが守護霊になると聞きますが 心配な時など側にいる事は


ありますが それは守護霊ではありません。 


守護霊は生まれて来る時に約束したもので それは還るまで同じもの達なの


だという事も光に教えてもらいました。


わたしは体がない方々を霊と呼ぶ事が好きではありませんので いつもは


ガイドたちと呼んでおります。




先週 東京からいらして下さった方の お父さまも3年前に病気で亡くなって


いて「お父さんに会いたい話したいと何度も試みて見たけれど一度も話せない


のです」と言われた時 その方のお父さまが 呼ばれたと思われたらしくて 


少し驚きながらも光の中からいらして下さいました。


目元や鼻筋がその方とよく似ていて お顔をの輪郭だけが違っていたので


お父さんだとすぐにわかりました。



その方のお父さまも 光の中で眠っていたというか 癒していたのだと


思います。


生前 あまり話さなくて あまり笑わないお父さんは それでも短い


ながらもメッセージを下さいました。


わたし達は 愛する家族が亡くなったら心配して側にいるとそんなふうに


思いますが 必ずしもそうではないことを 亡くなられた方々が教えて


下さいます。



亡くなられた方を思い供養することは 実際は亡くなられた方々の為


というよりも 生きている人が愛する者の死を受け入れるために 供養を


行うことで どこか自分が納得し安心したいのだと思います。



18歳の男の子は お線香の匂いが好きじゃないって教えてくれて


その匂いは 陰気くさいとか しんき臭いというような言い方をして


いました。


男の子が話す内容がとてもおかしくて 3人でぽろぽろ泣きながらも 


時に笑いながらのセッションでした。






わたしは何故 このような事をブログに書いているのだろうかと思う


時があります。


愛するものに先立たれ 残された家族が更に深い悲しみに追い込まれる


ようなそんな思いを 誰かにさせたくないのです。


生き方が悪いからと ご自分を責めるようことをさせたくないのです。


カルマだから 今世辛い事も当たり前だと そんな事で納得させるような


思いをせたくないのです。


心が汚いから 幸せになれないと卑下させるような事をさせたくないのです。


人が人を縛ること 人が魂を縛ることを もう終わりにさせてあげたいのです。





魂は本来 誰もが自由であること 汚れなきものであること 尊い愛という


存在であること それは 今も 亡くなった後でさえも同じであることを


いつか誰もが 当たり前にそのように思って下さるときが来る事をただ


切に願います。


それが本来の魂の成長でもあることだという事に どうぞ気が付いて


下さることを願います。











わたしの家から見える泉ヶ岳に初雪が降り 白くなりました。


夜明けがどんどん遅くなってきました。


冬がそこまで来ているのだと 日々感じます。


そんな1日 1日を どうもありがとうございます。








 ~~~~~~~~~~~~~~お知らせです~~~~~~~~~~~~~



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