魔がさすとき | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

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不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

とても長いブログです、途中で飽きたらどうぞ読むことを止めて下さいね。




人は時として 魔がさすものだと思います。


あなたは何かを盗んだ事がありますか 盗みたいと思った事はありますか 


盗むことを想像したことはありますか




わたしは子どもの頃 人のお家のチューリップを盗みました


1年生のとき 担任の先生の机の引き出しにあったゴム風船を盗みました



その時 わたしの頭の中では 「欲しいなぁ でも泥棒になっちゃうな」


「黙っていればいいんじゃない」「見つからなければいいんじゃない」と 


一瞬でいろんなことが巡っておりました。



人は何か悪い事をするとき 犯罪を犯すとき 魔がさすのだと思います。



事件を起こした人が あの時 何か声が聞こえてきたという事をよく言います。 


ある罪を犯した青年は 「やれ」 という声を聞いたと言っていたように思います。


そして精神鑑定を受けさせられます。 


殆どの場合が 精神鑑定は特に問題のない場合が多いように思います。



それを聞いて悪魔か 悪い霊が付いていて囁いたのだと 人は思うのかも


しれません、でもね 実はその声も自分自身です。


自分の中の声なのです。



そんな不道徳なものは自分の中にないと思われるかも知れませんが


倫理観で自分を抑えているだけなのです。


わたし達は 優しくて穏やかな自分がいますね そして意地悪で


冷酷な自分もいます。


どちらもわたし達の中にあります 誰の中にもあります。


今まで生きてきて 意地悪な気持ちや 憎む気持ちが一度もない人など


おりませんね。



誰かを憎くて あんな奴いなくなればいいのにと思う事もあります


そして本当に それを実行させるのも自分ならば そこで踏みとどまらせる


ことも自分です。


何か悪い事をすると 人は自分ではなく低級霊のせいにしてしまいます。


けれど優しい愛の高級霊と言われるものも 冷たい低級霊と言われるものも


全部が自分の中にあることを 人は気付かないし 認めようとしないのは


何故なのでしょうか



善良な自分も 狡猾な自分も 冷酷な自分も全部自分ですね 


それも自分だと言う事を ちゃんと見てあげましょう 気付いてあげましょう


それを違うものだと決めているうちは そのように思っているうちは 自分を


認めてあげていないのだと思います。


魂の本質に気が付いていないのだと思います。



人は何かで ふとイライラします 怒りも抱きます。


人は何かで ふと穏やかになります 感謝の気持ちを抱きます。


穏やかになる事と同じように イライラすることも大切で それは自分の


怒りの気持ちに気が付いて欲しいのだと思います。


認めて欲しい感情なのかも知れません。



人は菩薩にも 般若にもなります。 


菩薩だけを認めたいけれど あなたの中にあるものも わたしの中にあるものも


菩薩だけではありませんね。 


魔がさすとき それは自分の中にある いけないものだと閉じ込めている


自分の闇の声 魔の声なのだとそのように思います。


逢魔が時と言われている言葉があります。 


それは昼から夜に変わる境目の時 こちらの世界と 不思議な世界が重なる


魔のものに出会う時と 言われている意味なのかもしれません




けれどわたし達一人ひとりの中にも 逢魔が時があるのかもしれません


常に菩薩の状態 常に冷ややかな状態 それはどちらの割合が多いか また


多くなるのかは その人のその時の状態によって違ってくるものなのかも


知れませんね。


子どもの頃の気まずい出来事を あれはわたしの意志じゃなかったと


言い訳すると 光は 「あの声も あなたの中にあるものですね」


とそのように言われたことがありました。












わたしは未来リーディングを外したのだろうかと思うときがあります。


時期を見誤ったのだろうかと考え込んでしまう時があります。


そしてわたしが視せてもらっている事を ふと疑ってしまいました。

その翌日は カルチャースクールで講座がありました


受講している方のお一人が 6月頃と8月頃にわたしの透視リーディングを


受けて下さっていました。


その時視えた映像は 赤っぽい茶色のレンガの建物が見えて 歩道と


街路樹が見えてきました。 


枯葉が歩道に落ちていて 葉っぱが舞っている映像でしたので 今年の秋頃


10月 11月には 希望通りの出来事が起こる事が視えましたので その事を


お伝えしておりました。


そう言われてもこの数ヶ月 きっと何度も不安になり 疑心暗鬼になった


事でしょう とてもそんな状態になるとは半信半疑だったかと思います。


でも 「まさよさんのいう通りになりました 茶色いレンガの」と教えて下さり 


とても穏やかなお顔をしたその方がおりました。


またその翌日は お友達からもメールがありました。


1年半くらい前に彼女の未来を視た時 これから出会う相手の特徴や


相手の年齢などを伝えたことがありました。


先日のメールで再度 相手の特徴を教えてと聞かれたので答えました


お友達の大切なその人は 偶然にもわたしが視た人にそっくりでした。


あー出会ったんだと思いました。 


穏やかな暮らしをいずれその人と作っていくことを話したら 「ありがとう 


よかったぁ」って返事が来ました。


そしていろんな方から まさよさんから言われたことが 一つ一つ重なってきま


したと教えて下さることが続きました。



未来リーディングを外したと 自信をなくしていると ガイドを


疑うとこうして 「わたしを信じなさい」 と自信を下さる事が続きます。



未来リーディングは 本当はしたくはないのです。


人の未来を視ることは とても責任が重いことだから当たったとか外れたとか


そこではないと思いつつも 結局はそこになってしまうから 



けれど 人はこの先の未来を知りたがります、今が 未来が不安だから


そして未来を聞いて 安心したり 覚悟を決めるのだと思います。



未来リーディングはしたくないと思いながらも 出会わせて頂く方がそれを


望む限り わたしはしていくと思います。


でもね、わたしがお伝えした未来が 自分が望まないものであるならば 


それをいつまでも気に掛けている必要などないのです。


それを選ばない事も自分なのですから わたし達は創造する事ができます


想像することは 創造することなのです。











いろんな事が合って今このようなお仕事をさせて頂いて 人は不安で先が


見えない時 誰かの言葉にすがりたいという気持ちも痛いほどわかります。


お金がない不安な心細い気持ちも 痛いほどわかります 



だからわたしは 大切なお金を受け取る事に拘るのかも知れません

 

心のない受け取り方をすることが 嫌なのかもしれません。


わたしは自分の未来を知りたいとは思わないのです。 


人は生まれて来る時に 自分が選んできた事をだた順調に経験しているのだと


思います。


どんな事も どんな出来事も わたしとガイドで選んできたことを ただ一緒に


経験しているだけだと思うから 常にガイドがいて 一人じゃないと思うから



人は自分が選んだ嫌だと思うものが来た時 それから逃れよう 回避しようと


しても その時に経験してしまうか 少し後回しに経験するのかの違いだけで 


必ず経験することになるのだと思います。



わたしの人生も あなたの人生も 悲しいことも 辛いことも 苦しいことも 


楽しいことも うれしいこともいっぱいありました。


その全てを自分が選んできた事を あなたも わたしも ただ順調に


経験しておりますね。




神さま わたし達はちゃんと経験しているよ ちゃんと予定通り


選んだ事を 経験しているよ 


すごいでしょう 偉いでしょう 

あなただけど 記憶を消して経験していること


あなただけど きれいな魂ではないと思い込んでいること


あなただけど あなたではないと忘れていること


あなたなのに あなたを探し求めていること



だけど あなたがいつも愛で包んでいてくれたことに


あなたはわたしだったと いつか誰もが気が付くからね 







わたしたちは修行の為にこの世にきていると 思われている方も多いと


思います。


だから辛いことも多く そして未来を知ることは経験の妨げに 修行の妨げに


なると思われる方も多いかもしれません。 


本当にこの世は修行なのかも知れませんね。


でも本当はわたしたちは この世にきていることは 自分(神)を信じる


為に来ております。


どんなに辛い事があっても どんなに苦しい事があっても 悲しい事が


あっても 魂を震わせながら それでも自分(神)を信じていられるか 


信じてあげられるかを それぞれがただ試すために来ています。


いろんな事があると 人は自信をなくしてしまいます 自分を見失って


しまいます


けれど どこまで自分(神)を信じられるか どこで自分(神)を思い出せるか


なのだと思います。 




あなたに こんな事が起こるよ でも自分(神)を信じてあげられますか


あなたは こんな事にも合うよ それでも自分(神)を信じてあげられますか


あなたは こんな事もするよ そんな自分(神)を許してあげられますか


あなたに 深くて 辛い悲しみがあるよ それでもちゃんと自分(神)を


見失わずにいられますか あなたを思い出せますか





記憶がある時は 絶対に大丈夫だと思って誰もが生まれてきます


けれど記憶がなくなると 途端にわたし達は とても脆くて 弱くて


自信のない者になってしまいます。



けれども いろんなアクシデントに合いながら 人生という先の見えない恐怖に


呑み込まれながら 右往左往しながらも 結局わたしたちは自分なのです。 


それに気が付いたならば もう誰かを頼ることも わたしのような者に会うことも


必要としないことをきっと誰もが知るのだと思います。



あなたはどんな時も あなたを信じられますか 


あなたは あなたを思い出せますか


どうぞ自分を信じてあげ下さい 自分を思い出してあげて下さい


あなた程 素晴らしい者(神 愛 叡智)はいないのですから
















長くお付き合いしている彼の事で 結婚のことでいらして下さった方が


おりました。


彼の名前を見ていたら 8~10歳くらいの男の子の姿が見えました。


×1だけど子どもはいないと言っているのに 何でだろうかと思いました


お姉さんの家で暮らしているので それはお姉さんの子どもの姿だと


言われましたが、何か隠しているように感じました。


1,2度 彼のお姉さんや子どもが不在の時に家に行った事があるというので


その場所を透視させて頂きました。


居間の感じ 玄関から出て2,3段階段を下りて 低い門扉と低い塀 細い


道路があって お向かいの家々も道路に面して居間と玄関があること


低い塀に埋め込まれた 彼の姓の表札があることも視えました


お姉さんの家というのはその居間は あまりにも彼のエネルギーが


馴染みすぎていました。 


まわりに置かれているコマゴマな物も何もかもが 生活が彼と一体に


感じられました。


そしてお姉さんと言われる方は どう見ても奥さんに見えました。


何よりも彼女が結婚する相手の姿は 今の彼ではありませんでした。


ショックと びっくりと やっぱりと 納得と いろんな感情が彼女の


頭の中でぐるぐると回っておりました。


福の神のような穏やかなお顔をしたおばあちゃんが姿をみせてくれました。


彼女のお母さんに似ているので 彼女のおばあちゃんなのだとすぐに


わかりました。


小柄なおばあちゃんは 生前の姿で全身見せて下さいました。 


割ぽう着のようなスモックエプロンのようなものを着て 長靴を履いて


いました。 そして深々とわたしにお辞儀をして下さいました。


彼女が結婚するまで 近くで見守っていると言っておりました。


亡くなった方が全身の姿で見せて下さる時 それは身内を案ずるあまり


近くで見守っている時に 全身の姿で見せてくれます。


きっと早く目が覚めて欲しくて とても心配されいたのだと思いました。


彼女のおじいちゃんも 近くに来てその姿をみせてくれました。


ちびまるこちゃんに出てくるおじいちゃんに よく似た姿をお伝え


した時 すぐに父方の祖父だと彼女が教えてくれました


ちびまるちゃんのおじちゃんに 本当にそっくりな方でした。



彼女はきっとびっくりしたと思います ショックだったと思います。


けれどもきっとこの事を知るために わたしに会いに来て下さったの


だと思いました。


彼女が「また来ていいですか?」って、どうぞ お待ちしておりますので


またお元気な姿を見せてくださいね。








長いブログを読んで下さいまして ありがとうございました。




今日は寒い朝でした 少しだけ冬の匂いがしました


空がただただ青くてきれい1日でした 


そんな1日をありがとうございました。


















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