あっしが腹を立てるのは自分より劣った才能に金を払ってしまった時だ。あっしが福田村事件を撮るとしたら平和でのどかな村がかつてない大地震に襲われて大パニックになる。そこへ朝鮮人が井戸に毒を入れているというデマが流され村人は更なるパニック状態になる。ここはホラー映画の手法で村人を追い詰めたい。村人は死への恐怖から他人を見たら朝鮮人に見えるように追い詰められてたまたま村に入って来た四国の薬売りの一行朝鮮人と思い込み過剰防衛から殺してしまう。そんな風に描きたい。福田村から出て朝鮮半島に渡り日本軍による朝鮮人虐殺を目の当たりに見てそのショックでインポになった夫、井浦新と夫に抱いて貰えずに欲求不満の妻、田中麗奈の夫婦なんて話はいらないのだ。また映画は関東大震災おける社会主義者殺し描いているがこれが何とも中途半端なのた。無名のプロレアート演出家が亀戸書に連れて行かれて全裸にされて殺されるシーンを描いている。どうせ描くなら甘粕が大杉栄と伊藤野枝と彼らが連れていた6歳児を殺した事件を正面から描けば良い。それでこそ反国家、反権力映画と言えるのに。あっしは福田村事件を反国家、反権力映画だからと言って否定しているのではない。若松プロの反国家、反権力映画だから、もっと言えば下手だから否定しているのだ。反国家、反権力映画が嫌いだったらラピュタ阿佐ヶ谷の山本薩夫特集に通わないって。森達也監督は福田村事件を映画化しようとしたのはよかったが若松プロの残党と組んだのが間違いだった。だから下手でつまらなくて後味の悪い映画になってしまったのだ。