昨日の上野広小路亭での毒演会はCD、DVD、本と会場で販売するグッズが多かったので自転車で出勤した。途中三社祭で沸く浅草街を颯爽と走り抜けているとあっしの後ろから秀パパ⁉️という声がした。秀次郎の浅草寺幼稚園の同級生のお父さんだった。浅草寺幼稚園は下町の学習院と呼ばれていた。浅草の老舗の子供が多く通っていた。当然その送迎に老舗の主人がやって来るが誰もそれを十和田の女将さんとか大黒家の旦那とか呼ばない。浅草寺幼稚園ではあくまでも子供が主役で誰々のお父さん、誰々のお婆ちゃんと呼ばれるのだ。だからあっしも浅草寺幼稚園では快楽亭ブラックではなく秀次郎のパパ、即ち秀パパなのだ。あっしはこれを幼稚園民主主義と読んでいた。久し振りに秀パパと声をかけられ懐かしくまた嬉しくもあった。