価値観を共有出来る相手を友という。あっしにとって映画と芝居の友は巨乳悪女女王様に寒空はだか先生、金谷ヒデユキ先生大本営八俵先生、坂本頼光先生がそうだ。同じ日本映画好きでもキウイ師匠はあっし達が大好きな映画を一言の元に否定した。価値観を共有出来ないから友とは認定しない。あっしと痴かし師匠も競馬という価値観を共有しているから友だちだが同じ競馬をやっても競馬はJRAによって事前に勝ち馬が決まっていると信じる競馬陰謀論者のなかジーは友とは認定しない。むしろ敵と言って良い。そこで佐々木さんだ。中村吉右衛門の鬼平犯科帳を愛するあまりまだ作られてもいない松本幸四郎の新鬼平犯科帳を全否定するのも困ったものだがオリジナルの先々代、松本幸四郎の鬼平犯科帳を収録していたが退屈なので全部消去したとしらっと言ってのけたのには呆れ返った。オリジナルの鬼平犯科帳は新藤兼人が脚本だよ。吉村公三郎が監督だよ。目が眩むような名優が出演しているんだよ。一本一本映画のように丁寧に撮られてどの一本を観てもあっしにとって宝物なのに退屈とは、物の値打ちがわからないにも程がある。例えば大川の隠居だ。松本幸四郎と進藤英太郎、名優二人の共演に見終わった後しばらく震えがとまらなかった。大川の隠居は柳家喜多八が落語にしたが、それはこのオリジナル版に刺激されたからであって中村吉右衛門版では絶対にないと思うだってオリジナル版の進藤英太郎が中村吉右衛門版では犬塚弘だよ。天と地程に演技力に差があるじゃないの。それにオリジナル版は木村忠吾が志ん朝師匠だよ。あっしは志ん朝師匠に勝る木村忠吾役者を知らないあっしなんか志ん朝師匠を見ているだけで感動してしまうのに、それを退屈とは、実は明日佐々木さんと肉のすずきに行く約束をしていたのだが止めた。価値観を共有出来ない人酒を呑んでも楽しくはないから。いや違うなもうこれ以上あっしが大好きでいる宝物を佐々木さんによって汚されたくないからだな。佐々木のおごりの肉のすずきの焼き肉よりもあっしが自分で金を払う吉野家の牛丼の方が美味いにきまいる。明日の晩は吉野家の牛丼にしよう。