神の言葉の取り違い | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2023年 12月6日

最近YouTubeを見ていると、私の記事の解説も多いが、キリスト教の色々な宗派の主張も多い様だ。

聖書の箇所の一部をさも全部の様な嘘をつき、神様の思いは全然見えていないらしい。

それで我こそは正当派だと嘯(うそぶ)いている。

私は天地創造の神ご自身から命令された預言者である。

昔のことは知らないが、現在神様とは会話が続いている。

私のことを偽預言者と言う人は、命をかけて神様に抗議して下さい。

結果がその回答でしょう。

かつて何人の人が私を罵って死んでいったか。

聖書について教えましょう。

聖書は神様が働いて人間に思いを語り、その歴史と当時の人間が持てる言葉や知識をも含めて、記録されたものである。

電気もパソコンもない時代、聞いた人間はそれを正確な言葉で表現できたであろうか。

地球という言葉もない時代である。

当時の聖書記者も現代から見たら野蛮人である。

野蛮人の訳した聖書を間違いない神の言葉といえるであろうか。

時代や環境が変われば言葉も変わって当然である。

私も最近、間違った。

神様は、

「金持ちになるな。有名人になるな。」

と言われたが、これは正確には、

「あなたは進んで」

という言葉を頭につけるべきであった。

以前聞いた時はそうであった。

そしてこれは、他人には適用されない。

聖書の言葉も頭に「今の時代では」とか、「あなた方は」とかつければ、論争もなくなるのではないか。

聖書を読むと、イエス様も当時の聖書を大幅に変えたのではないか、、、。

【管理人のコメント】
ある作家が大学入試で出された自分の作品に対する問題を解いてみたそうです。

「この時の筆者の気持ちを答えよ」

すると、その作家の解答は間違いだったそうです。

大学入試の問題は、論理的に突き詰めて考えれば、必ず同じ正解に辿り着くよう作られているそうです。

それでも筆者自身の思いは解答とは違っていた。

聖書の解釈も同じような事が言えるのではないかと思いました。


関連記事



-------------------------------------------------
このブログはブログランキングというものに参加しています。下のボタンをそれぞれクリックして頂くと、ランキングが上がります。ランキングが上がるとこのブログの読者も増えると思いますので、どうぞご協力をよろしくお願い致します。


スピリチュアル ブログランキングへ


キリスト教 ブログランキングへ