神の言葉の確定はいつなのか | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年 6月14日

私は時々言っているが、


「神様の業(わざ)は、それが不可能と決定してから始まる。」


これは神様が云われた事だが、「やってみると、とても不可能だと判った」というのは、よくある事である。

時が待てない。

理由が判らない。

自分の聞き違いかな?

もしかして神様の判断ミス?

これで信仰が試されている事は多々ある。

これで引き下がるのは普通である。

「私は空を打つ様な拳闘はしない」

とか何とか言いながら。

もしその時、霊の目が良ければ私達がどう行動するか天使等がじっと見ているのが判る。

私も何回かあった。


昔、我が家の外に野良犬が住みついた。

私に大変愛想が良いので、テストして見る事にした。

車に乗せて駅の駐車場迄連れて行き、私が帰って来るまで車の下で待たせた。

最初は2時間でちゃんと待っていた。

次は4時間で、これも待っていた。

最後は8時間で、これに合格したら飼ってやろうと思っていた。

しかし、もう居なかった。

多分、待ち切れずにどこかに行ったのだろう。

餌も水も与えずに、実に過酷なテストである。

野良犬だから要求したテストであるが…。


何十年も前、パイロットの訓練も同じ様であった。

空へ上がったら操縦方法を教えて呉れるかと思っていたら、実に長い間、目標の設定と信頼の訓練であった。

一週間位はそればかりだったと記憶している。

例えば上空でエンジンを止め(アイドルにする)、教官は何もしない。

やがて失速して墜落を始める。

きりもみ状態になる。

とてもジェットコースターの程度ではない。

地面の近くなるとやっと教官は機首をたて直す。

これを何度も繰り返す。

最初は何かにしがみついて大変であった。

しかし段々と慣れて来る。

変わったのは心が変わったのである。

「この教官が隣りに座っている限り、私だけ死ぬ事は絶対ない」という信頼である。

これが成立しないとパイロット訓練は出来ない。

私達も同じ様に神様にテストされてないか。

大抵はパイロットのテストに比べれば甘いもんである。

パイロットのテストは気絶する迄やらされる。

パイロットの訓練では待つ事の訓練もある。

着陸の時は、ある高さになるまで待たなければならない。

長い間、どうしても待てなかった。

滑走路に激突する感じになるからである。

「何メーター!何メーター!」

と叫びながら、じっと耐える。

隣りに教官が座っているから大丈夫だと自分に云い聞かせる。

そして着陸出来る様になると、あとは何でもない。

最初の行動は信仰によったのである。


教官に対して余談であるが、ハワイの真珠湾に小さな飛行場がある。

そこで昔の海軍の攻撃を思いながら何回か離着陸した事があるが、同乗のパイロットはずっと昼寝しているけど着陸の時だけパッと目を開ける。

エンジンの音で判るのであろうが、すごい能力である。


神の言葉は、失敗と思われた時でも成就している事がある。

出来ない無理だと思っている時でも、専門家からは、

「出来たではないか」

と云われる事がある。

将棋の対局場面を思い出す。

名人クラスの対局をテレビで見ていた。

「終わりました」

と云われても、局面を見てどちらが勝ったか判らない。

素人が見て勝ち負けが分かるかなり前に、勝負が決まるのである。

一緒にテレビを見ている人に、

「どっちが勝った?」

と聞いても、

「こっちの人が先に頭を下げたから、あっちの人ではないか」

と頼りない。

局面を見ると素人には判らない。

神の時も同じではないか。


補足

気絶する迄のパイロットの訓練は別にしごかれてるわけでは無い。

急上昇をすると3~4Gの重力がかかり、頭から血が下がって、ごく短時間(数秒)意識がなくなる。

慣れて来るとこれも平気になって来る。


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