2003年 12月
近くの教会で、その年最後の礼拝があった。
一年の感謝の証をほとんどの教会員がしたが、その内、一人の婦人が次の様な証しをした。
子供さんの一人が病気になり、病院に連れて行ったが、風邪との診断であった。
しかし、
(これは肺炎)
との確信があったので、もう一度、他の医者に診てもらったが、やはり風邪といわれた。
しかし、それでもその婦人の内にある確信は消える事が無かった。
更に他の病院に診てもらった処、肺炎との事で、手遅れにならない内に処置をすることが出来、子供さんは回復した。
彼女曰く、
「この確信は神様からのものに違いない」
と感謝の証しをされた。
これを聞いて私は非常に感心した。
神様が人に語りかけるのに、確信と云う方法があるのだと…。
私はかなり昔から相談や祈り、神様からの回答を聞くように頼まれる。
多くの場合、祈っても回答がないが、時々、回答がある。
しかし、本人にその回答を伝えても90%以上、実行しない。
最大の理由は、本当に神様が言われたのかと信用しない事であると私は推定している。
もし神様が「確信」という方法で本人に語られるなら、この問題は大した問題ではない。
前記の証しを聞いて、私は神様から良い方法を教えてもらったと喜んでいる。
神様の知恵を聞くのに何も私が中間に入らなくても、神様が本人に直接に確信という方法で語る事が出来る。
私がすることは、祈る事くらいである。
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