2019年 10月26日
神様の言付けで、重要な事を思い出した。
若い頃、いつもの様に朝の祈りで、
(今日、神様のために何ができますか)
と祈っていた。
神様は言われた。
「わたしがあなた方をどんなに愛しているか伝えて欲しい」
と…。
「どんなに」と言われても、独り子を賜った以外は知らないが、私よりも、もっと知っている人がいるのでは…。
多分、神様は、キリストを信じて子なる権を得た人には、天国で王子にする位の扱いをするのでは…。
私は一部経験済みです。
昔、中国の海南島から大阪の関空へ直行便が飛んでいた。
多分、休止の最期の便と思うが、関空への私一人の専用便になってしまった。
関空では、二人の職員が出迎えに来て私に言った。
「今日、中国から乗客一人のチャーター便が到着するとの連絡が来たのですが、どんな要人かと、お迎えに来ました」
と…。
「私は只の乗客です」
と答えたが、乗客一人でも専用便らしい。
何かの都合でそうなったらしいが、私は神様の手筈を感じた。
「我が子には国賓以上の扱いをする」
と。
当時、旅行業界では話になっていたそうだが、嘘だと思う人は一度調べてみては。
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【管理人のコメント】
神の子たちが受ける扱いについて、思い出した話をがあるので、貼り付けておきます。
サンダー・シングがカイラス山で出会った聖人が語ったものです。
長いですが、興味のある方はお読みになってください。
ヨハネさんの視たあの宣教師の幻のお話を思い出します(こちらの記事)
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【天上のエルサレム】
マルガリータ(訳注:以後マギーの略称を使います)の死の光景とその後のこと
霊界について話を進めながら、リシはもう一つの興味深い、霊感をそそる出来事を物語った。
ある日、私がフランスのために祈る番が来た。
祈っているうちに、突然、パリの都に向かって、一群の御使いが急ぎ降りる光景を見た。
この意味を問うと、ちょうどその日に一人の霊がこの世を離れようとしていること、御使いはその霊を出迎えて天上に導こうとしていることを告げられた。
それを聞いた私は、霊たちがいかにして天に迎え入れられるかを確認するため、御使いに随行することを願い出た。
願いは聞かれ、私は御使いたちの後に続き、一人の貧しい女性の家を訪れた。
そして、泣きはらす親兄弟に囲まれて、二一歳の娘が死の床に横たわっている姿を見た。
臨終まであと十五分という時になって、御使いの一人がマギーの両目に手を触れた。
その途端、彼女の霊眼は開かれ、御使いの大群が自分を招くために訪れていること、先祖の何人かもそこに加わっているのを知った。
視線を上に向けると、天に届く黄金色の階段と、聖歌と詠唱を歌いながらもう一つのケルビムの大群がそこを下りてくる光景が目に入った。
黄金の階段の一番下に壮大な入口があり、その上には、次の言葉が、輝く金色の文字で書かれていた。
「わたしが道であり、真理であり、生命である」(ヨハネ福音書14章6節)
それを読むや否や、主イエス・キリスト自らがお話しになった言葉であることを思い出した。
それを思うか思わないかのうちに、輝かしい光に御顔を包まれた主御自身が入口にお立ちになっているのを見た。
これを見て、マギーの心は歓喜にあふれ、嘆き悲しむ肉親に言葉をかけた。
「どうか私のために泣かないでください。私は今、すばらしい安息と喜びの場所に入ろうとしているのですから。何百人という御使いが私を迎えに来てくださっているのです。そればかりか、主ご自身さえ、入口で私を待ってくださっているのです。泣くのではなく、どうか喜んでください。私は、悲しみの生を脱ぎ捨てて、永遠の安らぎと歓びの世界へ、もうすぐ入るのですから」
だが、この言葉は嘆き悲しむ肉親の耳には入らなかった。
彼らは、昏睡状態の中で娘がうわごとを言っているのだろうと考えた。
臨終の瞬間が来ると、マギーは、
「主よ、私の魂を御手に委ねます!」
と叫び、最後の息を引き取った。
霊魂が地上の幕屋(肉体)を離れるや否や、愛する母が自分の亡骸を抱き締めながら、大声で泣き、他の家族も同じように激しく泣く姿を見た。
この光景を見て、マギーも深い悲しみにとらわれ、愛する人々を慰めようと明るく声をかけたが、誰にもこの声が聞こえないことを知り、非常に驚いた。
それから、体に触れて自分の存在を確かめようとしたが、驚いたことには、それが触れることも感じることもできないものであることを知った。
こうして、自分の生涯が終わり、もはや地上にいられないことを彼女は知ったのだ。
今や、御使いは彼女を天国へ導いた。
進む道の両側には、果てしなく、御使いが列をなし、進むごとに、天上の音楽に合わせて聖歌と詩篇を口ずさむ御使いの軍勢に出会った。
天国の門に至ると、主天使の何人かに出迎えを受けたが、主ご自身がここにおられ、尊い御手を差し出すとマギーを御腕に抱かれ、天国にお招きになった。
マギーは、主が彼女にしてくださったこのような大いなる名誉を思って歓涙に浸り、何度もたずねた。
「主よ、このような招待にあずかるに相応しい何かを、私はしたでしょうか。私は罪人に過ぎないのではないでしょうか」
生前、彼女は、神の道を歩もうと常につとめ、小さな愛の行ないを幾つかしたのだが、自分では気にも留めていなかったのである。
彼女はこのように言われた。
「この名誉はみな、あなたが地上で神のためにしたことへの、当然の報いなのです。人のするどんな悪業も神は見逃されません。それと同じように、地上で行なった小さな善行の一つ一つに対して、人は当然の報いを受けるのです」
【天上の住まい】
私はまだ一度も天に入ったことがなかったため、少しでもそれを知ろうと、マギーとその一行に随行する許しを願った。
願いは認められ、私は彼女の後について天国に入った。
そこで見たことを話そう。
天国に入るや否や、私ははるか遠方の至るところに、気高くも壮大な住まいがあるのを見たが、これらは煉瓦造りでもなければ、土や漆喰でできたものでも、ガラス、水晶、その他どんな物質で造られているものでもなかった。
地上のいかなる物質とも異なり、それは触れられるような材質ではなかったからである。
それは、限りあるものでも限りないものでもなく、それでいて存在し、幾千もの建物を素通しして見れるほど透き通っていた。
簡単に言えば、人間の言葉に言い表すことも、想像することも敵わないほどの住まいであった。
この麗しく壮大な住まいの数々を見たときに、マギーは大きな驚きに包まれ、誰がこのような場所に住んでいるのですかと御使いに尋ねた。
御使いはこう答えた。
「これらは地上で戦って勝利した聖人たちの住まいであり、彼らは世界にいるあいだに準備されていた天上の住みかに、今や入ったのです」
さらに行くと、御使いはもう一つの壮麗な住まいの前で立ち止まった。
その素晴らしさに息を呑み、これはどのような王様のお住まいですかとマギーは尋ねた。
御使いはこのように答えた。
「いいえ、ここでは王と乞食の別はなく、誰もが等しい扱いを受けるのです。家々の荘厳さは、神のしもべの善徳を反映しているのです。ここはあなたのお住まいです。今日完成したばかりなのですよ」
この永遠の歓びと平和の住まいに入るや、閃光を放つ四つの宝石のはめ込まれた冠が目に留まった。
「この冠は誰のものですか、はまっている宝石には、どんな意味があるのでしょう」
御使いは答えた。
「その冠はあなたのものです。そこにはめ込まれている輝く四つの宝石は、あなたの聖書の教えによって救われた四人の霊魂です」
マギーは、この言葉を聞くと歓びに胸を募らせ、主の御名を称える聖歌を歌いながら、永遠の歓びと平和の支配する住まいへ足を踏み入れた。
【聖人の三つの段階】
御使いたちは、マギーを天上の住まいに連れて行くと、これらの住まいについてさらに説明を施した。
それらを指差しながら、黄金の冠を被る聖徒が座る、一つの住まいを指し示した。
「地上で神を信仰し恐れる中で生き、一生涯善を行なってきた聖徒です」
それから、輝く宝石とルビーがはまった冠を被る聖人の住まいを示した。
「正しい生き方をしたばかりか、何人かの霊魂をも救いに導いた聖人です。宝石の数は、彼が救った霊魂の数を表わしています。これらは冠の中で星のように、永遠に輝き続け、彼が地上で行なったことをいつまでも証言するものです。
預言者ダニエルの言葉を思い出しなさい。
「多くの者を義とした者は、世々、限りなく、星のようになる」(ダニエル12章3節)
それから、私は、輝く星に全身を覆われた聖徒の住まいを示された。
「こちらは、キリストのために迫害と殉教を忍んだ聖徒たちの一人です。そのとき身に受けた傷が、今や、彼らの天上の体の上で、星のように輝いているのです」
これらの住まいを眺めた後で、その中には、人の住まないものもあれば、半ばできかけたものもあり、また基礎工事だけが済んでいるものもあることに、私は気がついた。
その理由を聞くと、これらの住まいは神のお選びになったしもべにだけあてがわれたものであるため、建設の進度は、しもべたちの霊的進度に全くかかっているのであるとの答えを得た。
御使いはまた、このように言われた。
「主のしもべたちが良い働きを展開し続け、生命を増すにつれ、彼らの天上の住まいもまた、より完全なものとされるのです。あなたがここに見る不完全な住まいは、地上で戦っている主のしもべたちに属するもので、彼らは天に入る前に、さらなる艱難辛苦を通る必要があるのです」
それから、私は、誰も住んでいない住まいを指差し、なぜ無人のままになっているのかと聞いた。
一人の天使がこう答えた。
「その所有者は、今日、地上での働きを終え、これから入るところです」
その天使が話し終わらないうちに、私は一群の天使がひとりの聖徒をその住まいに案内してくる光景を見た。
ああ、何という栄光であろう。
主に忠実なるすべての者が、やがて限りあるこの世を去り、天上の住処を与えられる日が来る。
聖パウロが言うように。
「私たちの住まいである地上の幕屋が壊れても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です」(Ⅱコリント5章1節)
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