もうかなり前の事であるが、私が製造販売している電気部品の特許申請をした。
初め特許事務所へ申請を依頼したが、特許庁より却下された。
そこで別の特許事務所に依頼し抗告の手続きをしてもらった。
たくさんの書類を作って再度提出したが、しばらくして、又拒絶されてしまった。
この特許申請は私の仕事上重要であったので、今度は特許事務所を通さないで、私が直接手続きをした。
審判請求手続きであって、多分、裁判の最高裁に当たるものであった。
この特許申請は私の仕事上重要であったので、今度は特許事務所を通さないで、私が直接手続きをした。
審判請求手続きであって、多分、裁判の最高裁に当たるものであった。
審判官の決定通知があったので、それに対する申請書を書く事にしたが、何分手続きについては私は素人であって、どう書いたらいいか判らなかった。
そこで私は特許庁へ行き、通知書に書いてあった三人の内の一人に面会した。
私はその人に、
「どう書いたら良いか判らないので聞きに来ました」
と言ったら、その人は驚いた様子で、
「そんな事はあなたのする事で、ここに聞きに来るなんて…!」
と絶句してしまった。
そこで私は特許庁へ行き、通知書に書いてあった三人の内の一人に面会した。
私はその人に、
「どう書いたら良いか判らないので聞きに来ました」
と言ったら、その人は驚いた様子で、
「そんな事はあなたのする事で、ここに聞きに来るなんて…!」
と絶句してしまった。
そして、
「帰って下さい!」
と言って、横を向いてしまった。
と言って、横を向いてしまった。
私も頭を下げて、
「今まで、二つの特許事務所にお願いしたのですが、うまくいかないので、自分で手続きをする事にしました。大阪からわざわざ出て来たのです」
と頼み込んだ。
「今まで、二つの特許事務所にお願いしたのですが、うまくいかないので、自分で手続きをする事にしました。大阪からわざわざ出て来たのです」
と頼み込んだ。
その人はしばらく横を向いて黙っていたが、やがて語調を変えて私に言った。
「…これから私の云う事をそっくり書いて申請しなさい」
と言って呉れた。
そして申請書に書くそのままの文をゆっくり話して呉れた。
私は礼を言って帰ったが、途中、通知書をじっくり見て驚いた。
「…これから私の云う事をそっくり書いて申請しなさい」
と言って呉れた。
そして申請書に書くそのままの文をゆっくり話して呉れた。
私は礼を言って帰ったが、途中、通知書をじっくり見て驚いた。
その人の名は、審判長と書いてあった。
その時、私は思った。
その時、私は思った。
(この特許は成功した)
なぜなら、最終判断を下す審判長が私の提出する弁明書を一句残らず教えて呉れたからである。
(こんな事はあり得る事だろうか!)
と今でも思う。
それは裁判長が自分が判決を下す事件の被告の弁明書を自ら書くのと同じ事だからである。
こんな無茶な、初めから決着の判っている裁判は常識ではあり得ないと思う。
しかし、私は確信する。
こんな無茶な、初めから決着の判っている裁判は常識ではあり得ないと思う。
しかし、私は確信する。
神の国ではあり得る事を!
神様は私達が行った全ての事に対する裁判長である。
神様は私達が行った全ての事に対する裁判長である。
しかし私達を弁護する弁護士でもある。
そして裁判に対する弁明書を裁判長である。
神みずから書いて下さった。
それは聖書である!
あとは私達自身で印鑑を押すだけである(信じるだけで良い)。
もし私達がその事を認めれば(信じれば)、裁判の時、どんな人が私達を訴えても、私達が有罪になる事はない。
なぜなら、
もし私達がその事を認めれば(信じれば)、裁判の時、どんな人が私達を訴えても、私達が有罪になる事はない。
なぜなら、
裁判長(神様)は、又私達の弁護士であり、弁明書(聖書)は、裁判長の書いたものであり、尚その上裁判長は私達の父だからである。
人間の世界では、こんな裁判で告訴する人もいないと思う。
だから私は思う。
人間の世界では、こんな裁判で告訴する人もいないと思う。
だから私は思う。
私達の父である神様は最終裁判の長である事を信じれば、もう裁判が無いのと同じである。
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