2019.7.24(6)
一日本人の回想⑧ 戦時中1
終戦後、田舎の人で、
「戦争では大して影響なかった」
と言う人も現れて、驚いてしまった。
全ての国民が塗炭の苦しみであったと思っていたので…。
私の父は紙屋をしていて、配給の紙でノートの様なものを作り、大儲けをしていた。
物資がなくなり儲けた人もたくさんあった様だ。
それで不労所得の味を覚え、その後生涯まともに働かなかった。
一時の儲けは生涯の損となった。
しかし、家を焼かれ、子供を連れて働くこともできなくなり、知り合いを頼っての食料と住居を探す毎日…これが都会の母親の大多数であった様だ。
死にたかったが、子供のため生きてきた。
今生きている人は、母親にどんな感謝をしても足りないであろう。
その頃の子供も同じであった。
いつも腹を空かせて、学校では代用教員のなぶりものになり、ちょっとしたことでのビンタは毎日の様であった…。
もう泣いてもいいのは、経験者しか分からないであろう。
泣いたらビンタが飛んでくる。
子供の死亡も多かった。
生命軽視は兵隊だけでなく、国民すべてであった様だ。
でも、母親は食べ物がなくても自分の子供は守って来た。
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