質問「み言葉が胸に迫るの意味は?」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

【質問】クリスチャンの方、又は海南島のヨハネさんにお聞きします。

祈って聖書を読んだら、「みことばが胸に迫る」とか聞きますが、何となく開いた箇所からみことばをいただくのでしょうか?

あと、「みことばを握る」とか、「みことばに立つ」の意味がわかりません。

詳しく教えてください。

まだまだ初心者(求道者)ですので、よろしくご指導お願いします。


【回答】海南島のヨハネです。

指導する程の知恵はないのですが、経験をお話しましょう。

聖書は神様からの通信文と言われています。

聞く思いで祈って聖書を読んだ時、あるみ言葉でハッとする事はありますね。

神様が祈りに応えて、聖書の言葉で語りかけている、と考えて良いでしょう。

その時、信じる信仰とか、悟りとかを与えられる事がありますね。

まるで紙から活字が飛び上がっている感じになる事もあります。

それは信じて実行する義務が生じます。

私は時に、神様から、

「私はあなたに語ったではないか」

と叱られる事があります。

全く記憶が無くても、聖書でそうだと思った時、神様は私に語られたのです。

何となく開いた時ではなく、聖句の箇所を探している時に無意識で開き、初めに眼をやった処に聖句があった…これは一年くらい続いた経験があります。

でも意識すると、全部駄目でした。

今では一年に一度もないようです。

皆さんは送信専門で祈っていませんか。

時間にして三分の一くらいは、静かに聴く姿勢が良いと思いますよ。

私は若い時から、午前中は殆ど神に聞く祈りをしています。

何を言われても良いように、原則、時間を空けてあります。

「み言葉に立つ」は違う意味で、そのみ言葉を実行すると云う事でしょう。

今、中国で国立大学の構内に教会を作っていますが、共産国家ですので、大それた事です。

でも発起人は大学教授の奥さんで、聖霊に押し出されて、何も心配していないようです。

凄い信仰です。

中国にどんどん信者が増えている原因が判りました。

以上、参考になりましたでしょうか…。

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