出来ない性質 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2009年  1月10日

昔の金縛りの事を思い出したが、私の田舎、山陰では、ごく普通の出来事として、病気とも霊的な事とも聞いた事は無い…。

金縛りにあった時、息を止められても、直ぐ降参して、

(どうぞ通り過ぎて下さい)

と、お願いすれば、そんなに苦しくなく元に戻る。

「解放される」からである。

その後は身体に何も残っていない。

金縛りの感じは、土に埋められた感じに良く似ている。

どこも痛くはないのだが、身体は全く動かない(温泉地で砂に埋められたと同様)。

私は小学生から成人する迄、毎日のようにやって来るので、逃げ方等扱いは慣れている。

他の人も殆どそうだと思う。

17、8歳の頃からは滅多に無かったが(遭いそうになると回避していた)、聖霊を受けた後、強力にやって来た。

私は精神病の一種かなと思っていたが、先輩はこれは悪魔の作用だと教えて呉れた。

それで、イエス・キリストの御名で、

(出て行け!)

と心の中で命じたら、出て行ってしまった。

あと1~2回、同じ事があったが、次には出て行かなくなった。

従来なら頭を下げてお願いの姿勢であったのだが、これが出来なくなった。

息を止められているので、死ぬと思われる程、苦しかった。

私の方は対抗上、やって来ない様に、又、イエスの名によって追い出せる様にする為、聖霊に満たされざるを得なかった。

その時点で悪魔は病気の様な現れではなく、本性を現わして来た。

明らかに私を殺しにかかっていた。

もう駄目だと断念する事も何回もあった。

私の方はどんどん聖霊に満たされざるを得なかった。

今、振り返って見ると、金縛りを止める方法(頭を下げてお願いする)を知っていながら出来なかった…これは信念とか知識に関係なく、その性質が無かったと言わざるを得ない。

昔の殉教者も同じでは無かったか。

神とキリストを否認すれば直ぐにでも拷問から解放される事は判っていたが、その性質が無かったと思っている。

そして死んで行く多くの人についても同様と思っている。

死の間際、神の存在を感じても、もう神に頭を下げる性質が無い。

だから出来ない…。



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