中国の大地震について | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2008年  5月20日

5月12日早朝、神様は一人の老人を中国の南端から地震の震源地に近い大都市、重慶に行かせられました。

ホテルに落ちつき買い物に出掛けて高層ビルの一階にいる時、地震に遭いました。

大した揺れでも無く、日本では驚きもしないと思っていたが、中国人はパニックになり大変でした。

重慶は地方の都市ですが、超高層ビルは林立し、人口は3千万だそうで、東京以上の大都市です。

その一番の中心地に宿を取り、解放広場は窓から下に見える位置でした。

地震から数分の内にビルから逃げ出した人で広場や道路は一杯になり、パニック状態でした。

なお、超高層ビル(30~40階)からは、大勢の人が階段を駆け降りて、ビルの外に飛び出していましたが…。

殆どの中国人は地震の経験が無く、天地がひっくり返る位の恐怖の様でした(年寄りは30年前にも地震があったと言っていましたが…)。

広場や道路の人々も行き場が無く(周囲数kmは超高層ビル街)、2、3時間も立っていたが、皆上の方を向いて時々ビルから遠ざかろうとしていました(上から何か落ちて来ると云うデマが有ったのでしょうか)。

其の時、明石の歩道橋の事故や神社の群衆による事故を思い出した。

パニックになっている数万人の中でつまずいて将棋倒しが起こったら、どれだけの犠牲者が出るであろうか?…と。

私は祈りながらずっと見ていた。

夕方になり、段々群衆の数は少なくなったが、救急車のサイレンは聞こえなかったので、一人の怪我人も無かったと思っている。

しかし実際にはスリ傷や足を踏まれた等は大量に予想出来る。

21階からハダシで階段を駆け降りた人は、翌日足が腫れて歩けないと言っていたが…。

当日の夕方は、ビルや商店は皆シャッターを閉め、食事の場所を探すのに一苦労し、同行の中国人は、

「悪い日に来たもんだ」

と、ブツブツ言っていた…。

一週間で海南島へ帰り、今日は2日目である。

朝、祈り兼散歩に出掛けて、マンション入口のスロープをバイクに乗ったまま昇ろうとして、雨で濡れていた為か滑って派手に転んでしまった。

若者でもやらない危険な事を老人がやるとは…。

幸い骨折は無かったが、すり傷が出来、今でもヒリヒリする。

痛い目に遭って神を見た(注意を払った。「何で私が怪我をするのか」と)。

その時、神様は言われた。

「わたしはあなたを地震の地に遣わした」

いつもそうだが、私は自分の使命を軽視している。

帰って来るまで何の為に重慶へ行ったのか、神様はどんなに大きい事をさせようとしていたか、気が付かなかった。

パニックになった何万人の人々に二次災害が起きなかったのは、神に感謝すべきであった。

今思うに、神様は地震も又、二次災害も知っておられた。

以上を書いていて、昨年5月15日に言われた神様の言葉を思い出した。

「この後  起きる大いなる悲劇の為  イエスは泣かれる」

「人類にとって悲劇の日は来る。それは来る。必ず来る」

又、

「あなたはヨナの役目をやって欲しい」

今回の地震は神の言葉のミニ版のようだが、実現してしまった。

それに続く神の計画は重慶の3万人の救霊であろうか。


追記

3万人救霊は面白そうだ。

その後、数日神に祈ったが、返事が無かった。

「そっちをやらしてー」

と。

それでは、と返事を求めて対岸の町へ旅行に行った。

船で1、2時間の町で私の祈りの場所にしていた。

次の日、

(今日は一日中祈るぞ)

と祈り始めたら、すぐ返事があった。

「あなたは其の事をわたしに聞かなくて良い。命ぜられた事だけを行いなさい」

何ともそっけない返事ではある。

私の仕事は重慶の二次災害の為に祈り、且つ神の思いを地元の教会へ伝える事で終りのようである。

神様も時々は手荒な方法で思いを伝える様です…。

バイクで転ぶ前に何度も私に伝えようとしたが、聞こえなかった。

以下は送ったメールです。


重慶基督教聖愛堂へ

2008年  5月22日

私は5月18日に礼拝に出席した日本人です。

今回の地震で神様は重慶の人々に対して、非常に大きな事をされました。

5月12日に重慶の田舎に行く為に解放碑の近くのホテルに宿泊したのですが、数時間後、地震がありました。

詳細は別紙レポートのとおりですが、二次災害を免れ助かった何千か何万人の重慶の人々の為に、あなたの教会でも神様に感謝の祈りをして下さい。