2008年 1月2日
「科学的に」とか、
「科学的証明」とかの言葉が良く使われるが、
辞書を引いて見ると、
「体系的で経験的に実証可能な知識」
と出ている。
しかし現実社会では、体系的にしても経験的にしても又実証にしても、はなはだいい加減である。
言葉の世界では特に、いい加減である。
日本語を教えているが、もう規則がある様な、ない様な。
それでもある程度文法的な教え方をしないと、能率が上がらない。
いちいち、
「これは例外が有る」
と云っていては、授業は進まない。
体系的と云っても、自然現象にしても、無限に調査は不可能と思われる。
ある程度調べて例外が見つからなければ、真理として取り扱わざるを得ないと思う。
私は職業柄、実験や調査を随分やって来たが、実験で1%位の想定外のデータが出る事は、しばしばである。
非常に重要な事でなければ、
(測定器又は測定方法のミスであろう…)
と、データから除外である。
耐用試験等も全部の製品をする訳にもいかないし、又そんな時間もない。
それで普通は99.9%合格であれば、それを科学的な実証済みとする。
昔、勤めていた会社に泥棒が入り、警察が来て社員の指紋を採っていった。
その時の係官(警視庁の鑑識課?)が私にたいし、
「あなたの指紋は、何万人に一人しかない指紋です」
と云った。
警視庁には何万人以上のデータが有ったに違いない、と私は思ったが、これがもし物理学でデータが無ければ、私の指紋は理論上、無い事になると思うのだが…。
何事も勉強をするには系統的に、又定理として進める事は重要とは思う。
学校の先生の話を、
(例外も有るさ…)
と聞いていては、さっぱり勉強は進まない様に思う。
科学的に考えて、太陽なるものは存在するであろうか?
もし日が差さない場所で高度な天体望遠鏡を使い、全部の空を調査して99.99%の空を調べたが、「太陽なるものは無かったから、太陽は存在しない」…これは科学的結論だと思うが、太陽が見える場所にいる人にとって笑い話の様な事であるが…。
これに似た話は、世の中には幾らでもある様である。
神など存在しないと言う人は、沢山いる。
科学的に実証されないからと言う。
成人しても、
「神が居れば、悲しい事や戦争など無い筈だ」
とか、
「神があれば見せて呉れ」
とか、本気で思っている様である。
実は、私も成人する迄は、本気でそう思っていたし、大人は馬鹿なもんだと食って掛った事もしばしばであった。
ある時は父親を馬鹿呼ばわりして散々叩かれ、翌朝は起き上がれない程であった。
まあ誰でもそんな経験はあると思うが…。
インターネットで情報を見ていると、中高生程度の人は多く見かけるが、大人の様な人がそれを言うので驚いてしまう。
私もそうであったが、若者は議論が好きな様だ。
自分の知識を振り回し、相手を屈服させる、又は教えてやる。
段々年を取って来ると、世の中、理論通りには行かない事を経験してくる。
皆さん大変な授業料を払ったかなと想像しているが…。
私も職業柄、理論好きで、20代まではそうであった。
しかし結果重視の方が手っ取り早く、確実であった。
ある時、私が発明した電気製品を大企業に売り込みに行く為、理論的に完璧と思われる技術説明書を作った。
それを持って売り込みに行き、とうとうと説明したが、相手の技術課長はろくろく書類を見もしないで友人へ電話をした。
いわく、
「あんたの処で○○の製品を使っているそうやが、どうやった?」
「良かったでー」
との返事だそうで、採用が決まった。
相手は私の説明書も、その理論も全然信用していないのである。
時々、銀行や証券会社が分厚いパンフを持って来て、世界情勢から話を始め、
「この商品は、理論的にも非常に有利な商品である」
と言う事がある(今頃は「絶対に」と云う言葉は言わなくなったが)。
私はろくすっぽ聞いていないが、こう返答している。
「前回、これは絶対だと云った商品で大変な損をしたが、それを弁償してからにして呉れませんか」
私は彼等の理論の反対の方が良く当っている様に思う。
それでも度々来るので気の毒になり、時々買わされているが。
--------------------------------------------------
このブログはブログランキングというものに参加しています。下のボタンをそれぞれクリックして頂くと、ランキングが上がります。ランキングが上がるとこのブログの読者も増えると思いますので、どうぞご協力をよろしくお願い致します。
スピリチュアル ブログランキングへ
キリスト教 ブログランキングへ
スピリチュアル ブログランキングへ
キリスト教 ブログランキングへ