国の常識 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年  6月1日

中国に住んでいると、色々な違いに気が付く。

先ず物事が大ざっぱ、いいかげんである。

それで相手が迷惑するかと云うと、あながちそうでもない。

例えば、時間にしても20分30分早かったり遅かったり平気である。

しかし前もって遅れるのを認めないと言っておけば、ちゃんと来る。

一週間位前に10人の中国人が集まったが、9人は時間前にやって来た。

やれば出来るのである。

部屋の中で灯りにしても装飾にしても、良く見ると少し曲がっている。

日本では普通、真すぐに取付ける。

今頃思うのであるが、日本にいた時、何の為に寸法を測ったりして正確に仕事をしていたのだろうか。

それで実利益になる人は誰もいないのであるが。

その為に労力は余計掛かり、コストも高くなり、損害ばかりである。

利があるとすれば 仕事をしている人の心の満足だけの様だ。

自分の満足の為に仕事をしていたのかな、と今頃思っている。

「国が変われば常識だって変わるんだ」

と在住の日本人が云っていたが、成る程と思う事は沢山ある。

近年云われている拉致の問題でも、中国では全く話の種にもならない。

これの10倍20倍の悲劇が毎日起こっているからである。

小学校の退校時間になると学校の前には自転車と人であふれ返る。

親が子供を迎えに来ているのである。

この前迄は中国では子供を大事にしているのだなと思っていたが、本当は人さらいが子供を奪って行くからである。

男の子は5000元、女の子は500元で売るのだそうである。

それが毎日の様にどこかで起きている。

田舎では、貧しい家が借金の返済と口べらしの為に子供を売るのだそうである。

私には売られて行く子供の号泣と残った家族の泣き声、特に母親の叫びに身をさいなまれる。

神よ、彼等を何とかならないのですか?

私も心の中は穏やかでは無い。

中国では一人っ子政策であるが、例外はたくさん有る。

罰金を払って2人3人の子供のある家は多い。

日本人が貧しい中国人の何十倍の生活費をを使って裕福な生活をしているのを中国人は内心おだやかでは無い。

しかし、中国人でも日本人同等の生活をしている人は沢山いる。

私の家に中国人は毎日の様に来るが、小さい者を指さしてこれは要るかと聞く。

電池とか事務用品とか衣類とかが私の家にはゴロゴロしている。

どうするのかと聞くと、自分の家で欲しいのだけれど、とても買えないと云う。

それで彼等は随分と物を持って帰った。 

この事でも私は随分良心が痛む。

あり余る程持っている人の直ぐ近くに、欲しくても買えない人がいるのである。

中国の田舎に行くと、今日、明日食べる物がないから隣り近所に借り歩き、ついには子供を売る。そんな家は沢山ある。

私達日本人、西洋人もふくめ、あり余る程の食料や衣類を持ちながら、今日明日食べる物のない人達を見過ごしている事は、神様から見て極悪非道な人間に見えないだろうか。

貧しい人を助ける事を否定する聖書の言があったら教えて欲しいものだ。

そんな事をしていればキリが無いと云うのが日本人的常識なのか。

助ける事が出来る人がアジアの中にありながら、助けて呉れなかったと恨みながら死んでいく貧しい人々の存在。

これも中国の常識なのか。


前記を書き終わってからなお、私は神様に聞いていた。

現に食べ物がない人々が沢山いるのに、なぜあなたはマナや5000人の給食の奇跡を行わないのですか?

…創造者である神が先ず助けるべきではないのですか?

カラスの子に餌がない時、だれが餌を与えるのか?と云われた神ではないですか?

又、人は鳥よりもはるかに優れていると云われたのではないですか?

この問いをしばらくしていると、神は答えられた。


「もし私が奇跡を行えば、信じなかった人に罪が残る」


この言は前にも聞いた様な気がするが、神よ、それではどうするのですか?放って置くのですか?

これは世界中の人々に課せられた大問題の様に思う。

そして私には神様から解決の知恵を引き出す義務がある様に思う。


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